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ビリンガムのバッグは時代を生き延びる強者の雰囲気がある

 人は何がなんでも生き延びないといけない。たとえ、精神的にぶん殴られようと絶望の縁に立たされようともだ。というか、それしか方法がないはずだ。死ぬまで生きるのだ。
最近、公私ともに最悪な状況でも立ち上がっている人にあった。ある人は会社が破産に追いやられようとも不死鳥の如く生き延び立ち上がった。また、ある知り合いは失業し家庭が崩壊しても、それをバネにして立ち上がったのだ。

荒木村重という武将がいた。彼は武将としても有能だし、政治家としてもなかなかの策士ではあったが。あの天魔王の織田信長に反旗を翻し、結果、攻められ落城し妻子など皆殺しにされた。ただ、彼は生きていた。逃亡し生き延び、秀吉の治世で自らを道糞と名乗り世捨て人、風流人として生き抜いたのだ。彼の心情はわからない。が、ともかく死ぬまで生きたのだ。

さらにスケールダウンすれば、江戸初期に諸岡一羽斎という剣客がいた。彼は、なかなかの強さを誇っていたが。やはり、師匠を裏切ったとみなされ、兄弟子二人によって殺されたのではなく、橋の上から川に投げ込まれた。が、生きていたのだ。名を変え用心深い性格になり剣客として仕官した。また、忠臣蔵でも討ち入りに加わらなかった元浅野家の高田郡兵衛や寺坂吉右衛門の例もある。彼らは、ともかく死ぬまで生きたのだ。これだけで拍手を送りたい。

ところで写真用品である。ともかく重厚でタフなイメージというと、ビリンガムのバッグがある。いかにも、あらゆる歴史をくぐり抜け生き延びてきた強者だ。こういうバッグを持てる人間になりたいと思いつつ年だけとってしまった。。

まさに、ビリンガムのバッグはしたたかに時代を生き延びる強者の雰囲気がある、のだ。

しかし、こちらもギリギリの精神でブログも中断していたが。ある用品の社長から、チェックしてると言われ、再び手をつけた。やはり、人は社会的動物なのだ。。


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写真用品年鑑にも新しい風を感じるのだ

 久しぶりの投稿になった。まぁ、自身の怠惰から来るものである。だが、言い訳をすると、CP+というのに関わり、一応忙しかったこともあるのだ。あくまでも言い訳だが。
で、そのCP+だが、用品メーカーのブースを見たら、妙に異質な盛り上がりがあった。そう、一言でいうと、自分の持つ貧弱な固定観念を吹き飛ばす良い意味でのミスマッチが目についたのだ。

例えば、マルミ光機のブースである。実は、今までの同社のイメージは、勝手に、いぶし銀の感覚であった。渋い。石原軍団並の大人の渋さだ。展示品も、プラズマスパッタリングの高性能のものなどが、きっちり並んでいた。渋い。
が、その横を見たら唖然とした。まさに、華やかなコーナーがあり、指人形が置かれ、可愛いのである。どうしたことだ。聞けば、パンチシリーズの開発に携わった人気女性写真家の世界観だという。なるほど。だが、例えば、石原軍団の舘ひろし先生がバラエティー番組でニコニコ話しているような妙な魅力があり、ブースも盛況であった。

さらに、とどめは写真用品関係の総本山である用品工業会のブースだ。若い女性が出入りし、カタログである写真用品年鑑を手にする。どうしたことだ。聞けば、この年鑑の記事には、やはり人気の女性写真家らが関わり、さらに配布にも若き女性スタッフが携わる。彼女らは用品年鑑ガールズというらしい。

おかしい。写真用品年鑑といえば、叩き上げで地位を築いた写真屋さんが、接客しながらめくる。まさに、パーフェクトデイズの一場面で、役所広司さんが来店する店にこそ、相応しいのではなかったか。。

だが、確かに用品年鑑ガールズなども、役所広司さんが、トーク番組でくだけた話をするくらいに魅力があるかもしれない。

いずれにしろ、2024写真用品年鑑には新たな風を感じたのだ。

今後の新進路に期待したい写真用品関係であった。
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ユーエヌのモニタリングプロの新製品は水中で将来性なども見通せるのだ

 世の中は欺瞞にあふれている。と、青臭いことを考えることがある。そう、あまりにも表向きこうだという話が多いからだ。だが、それを剥がして本質を見たほうがいい。

剣術というものがある、柔術というものがある。どちらも、剣道や柔道の元の姿である。術と道とU.2657.01.jpgは、どう違うのか。はっきりわかるのは、相手を確実に殺傷するような技を禁止したことだ。だから、精神論を加味して道か・・。まぁ、それ自体は嫌いではない。だが、と思う。もともと、剣術というのはそういった精神のためものだったのだろうか。有体に言えば、剣術とは戦いの場で、いかに巧みに人を殺傷するかの技だろう。さらに、柔術とは素手でいかに、相手を圧倒するかの技術だ。そういう意味では、空手というのは昔からの流れを保っているような気がする。一応、空手道というのはあるが、剣術ほどは精神世界に重きを置いていないだろう。

これは武術の話だが。他にも、最初の措置から間違っているようなことはある。例えば、人が亡くなったときの葬儀の話だ。最近、出てきているのが家族葬というやつだ。一日で全て終わらせる。タイミング合えば、翌日には火葬である。人によっては、戒名も入れないらしい。これは、法律違反でもなんでもないし、悪くはない。というのも、葬儀も戒名も遺された人々の気持ちの充足のための部分があるからだ。なので、自分たちの気持ちを考えて、シンプルにしたければすればいい、そうではなくて盛大にやらないと、自分らの気分が済まないのであれば、そうすればいいだけの話だ。

そういう実施的な役割という点では、ユーエヌはいつもそういう商材を提供している。細かいアクセサリー類やパーツなど、本当に必要な人しか使わない。逆にそういう人は確実に購入していくのだ。最近発売された水中モニタリングプロである。これは、水中撮影では確実に必要とされる用品であり、強さを感じる。

まさに、ユーエヌの水中撮影用のモニタリングプロは地に足のついた商材、なのだ。

しかし、本当にユーエヌには頭が下がる。コツコツとお店を訪問して、情報や要望を聞き出し製品化に向けて動き出す。。意外に恐ろしい会社である。

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ロゴスのバッグは地球の自然の神に愛されているのかもしれない

 酒の神に愛されていないなぁ、と思うことがある。これは、自分を振り返っての客観的な見方である。呑むと、いろいろと失敗も多い。大言壮語くらいならいいが、モノを落としたり、転んだりする。なかなか無様だ。

では、酒の神に愛されているひとというのは、どういう人間だろうか。そういう人は、酒を独りでもロゴスbag.jpgちびちびと呑む。人と話しながらなどは、邪道かもしれない。ある人気俳優は、酒好きで知られているが、人の飲み会を断ってでも部屋でツマミを作り、じっくりと呑むという。こういう人が酒の神に愛されるのだろう。だいたい、周囲でも酒が本当に好きな人というのは、自宅で一人でもちびりちびりと味わうし、一緒に呑んでも、実にうまそうに呑む。こういう呑み方の人には、酒の神も味方をする。

ところで、写真用品の場合も、神に愛されるような製品づくりをしているパターンもある。ケンコートキナーが販売するロゴス製品である。このロゴスのバッグというのは、売れればいいというものではない。なんと、ペットボトル再生生地を使っており、環境問題に配慮しているのである。一見、そんなのビジネスに関係ないと思われそうだが。実は、このコンセプトが販売店のトップに人気となったのだ。すなわち、非常に良いコンセプトのバッグだということだ。こういう提案をしてpopを作ったところ、さらに来店客にも響いた。カメラバッグが溢れている中で、人目を惹いたのだ。ある意味、世の中に良いことをしているために、販売の神に愛されたのかも。

まさに、ロゴスのバッグは地球の神に愛されているバッグ、なのだ。

しかし、確かに環境問題は大事だよなぁ。。それにしても、何かに愛されているというのは重要な事だろう。酒以外でいい、自分は何に愛されているか、それをじっくり考えてみるのも重要なのかもしれない。。

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山田屋台紙店の台紙は映画のパーフェクトデイズの作品に使ってほしいアイテムだ

 パーフェクトデイズという映画作品が上映中である。地味ながら、なかなか評価の高い作品だが、やはり奥の深さを感じさせる出来だ。

役所広司氏演じる主人公は、公衆トイレの清掃員である。毎日、決まった時間に起きて、同じ動きを山田屋さんの記念台紙.jpgして仕事を丁寧にこなす。仕事以外の生活も同じパターンで、銭湯で汗を流した後はいつもいく定食屋で食事をして、古本屋で買った文学作品を読んで眠る。休みの日は、ときたま飲み屋に行くが、淡々と呑んでいる。判で押したような生活だが、フィルムカメラを持ち歩いていて、ふとした瞬間を撮影したりする。あるいは、昼食後の神社の片隅の木洩れ日を見て、ふと笑みをこぼす。

主演の役所広司氏自身も、こういう生活は自分には無理だ、と断言したような淡々と、それでいて強い意志をも感じさせる生活であり、見ようによって修行僧のようでもある。だが、そのような地味な生活のなかでも、前述のように、ふとした瞬間に楽しそうに笑う。この表情がなんともいい。

こういう生活は、こちらみたいな俗人は絶対に無理だが、だが憧れる生活ではある。こういう淡々とした日常のふとした微笑みというのは、貴重であり最大の幸せな時間かもしれないと思う。

写真用品では、こういう瞬間を演出するモノが多いが、ふと思いついたのは何気ない日常を切り取り、飾るフォトフレームや写真台紙ではないだろうか。何気ない日常の日々、ここに何もにも代えがたい瞬間があり、それを思い出として残す。

そういう点では、山田屋台紙店の台紙の場合は、単に記念日のような時だけではなく、様々な趣味でのシーンなど日常の行動に密着しているアイテムがそろっている。なにか、パーフェクトデイズの主人公の作品を収納したい感じがする製品群である。

まさに、山田屋台紙店の台紙はパーフェクトデイズの思い出を収納したい商品群、なのだ。

しかし、今時珍しい映画作品だよなぁ。。派手さは全くない。が、なんか記憶に残るのだ。以前に、二宮和也氏主演のアナログ、という作品も観たが、あれもどちらかというと、地味な余韻系の作品だった。なんか、映画って捨てたもんじゃないよなぁ。。。

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写真用品企業は失うことを恐れずにガムシャラに前向きに進んでいくのだ

 年末ぎりぎりだが、スマホの機種変をした。データ移行がうまくいかずに、多くの方々の連絡先を失ってしまったのである。これは、こちらのように、ある意味人脈で仕事をしてるような者にとっては、痛手である。困ったものだ。

だが、である。よくよく考えてみれば、失うことというのは多くの起業家が経験していることもであサンアイフィルム.jpgる。何かを得たら、何かを失うというやつだ。実は、年末にハーマンのフィルム(写真)を提案し、いきなり注目を集めた3iを取材したのだが、その時に同社を起業した社長に聞いた。自分は、心拍数が多い。サラリーマン時代と違って、常に心は落ち着かないという。さらに、休みなどはない、と明言していた。これは、実は多くの起業組が語っていることであった。そう、曲がりなりにもサラリーマンをしていれば、一定の期日に収入がある。だが、自分で運営していたら、そうはいかない。この月に多くの利益があっても、次の月に同じものがあるとは限らないのだ。

しかも、これはこの欄でも記事でも書いたのだが、だいたい起業して企業を成功している人というのは、サラリーマンとしては優秀だった人が多い。その人間が、その地位を捨てて、安定というのを精神もひっくるめて投げ捨ててきたのである。それは、自由さやクリエィティブ的な意欲あるいは、やり方次第では高い年収は手にはいるかもしれない。が、失うものも多いのである。それでも、前に進むためには走っていくというわけだ。

失うものがあっても、がむしゃらに進む、このパワーがあれば多くの日本人は、まだまだいけるのではないだろうか。キャッシュを失っても、USスチールを手に入れたかった日本製鉄には期待したい。

ともかく、2024年の写真用品企業も失うことを恐れずにガムシャラに進んでいくのだ

しかし、人はともかく進んでいく。それしか生きる道はない気がする。現状維持は退歩と一緒になるだろう。2024年は何がおきるかわからないが、それでも進んでいけばなんとかなるだろう、と思う。

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フォトプロのカメラクーラーは浅沼商会の英雄的な振り幅を感じさせるのだ

 この欄でも、たびたびネタとして記載しているが。歴史好きである。では、なぜ好きなのかというと、学問的にではない。それなら、迷わずに史学科に進んだはずだが、そんな選択肢はしなかった。要は、歴史上にあらわれる無数の人間たちに興味があるのだ。

なにせ、歴史上の人物である。ややマイナーな人物も含めれば無数存在する。しかも、その人間の人レンズクーラー.jpg生全てを既に知っている。それにより、人間研究が進むというものだ。で、思ったのだが。成功論である。成功するには、何が大切か。いや、そんなことはわかりはしない。成功するのは、どういうタイプなのかということなら少し見えてくる。

代表的なパターンを挙げる。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3者のうち、一応戦国時代を完全に終わらせ長期政権を築いたのは徳川家康である。あまり注目されていないが、彼の特質は振り幅の広さである。これは、大河ドラマでも誇張して描かれていたが、ともかく感情的である。なにかあったら、怒り、泣き、イラつく。そうかと思うと、一転して落ち着いた風情を見せる。狸親父のイメージが強いが、ともかく振り幅が激しいのだ。もっとも、この振り幅の広さだけなら、織田信長、豊臣秀吉でも同様である。信長は落ち着いたり、怒ったりと忙しいし。秀吉も大泣きしたり大笑いしたりと大変だ。だが、この振り幅だけではない。徳川家康には徹底して過去に学び、それを己に取り入れるという努力というか習慣があった。

これは強い。徳川家康だって、1500年代の人物だ。つまり、1500年間の事象や人物を知ることが可能なのだ。現実に、彼は吾妻鑑などの歴史書を暇があると読みふけっていたという。これをもとに、また自らの人生経験の蓄積を明確にルール化して取り入れていった。つまり、振り幅と歴史上の事柄も含めた過去のデータ化と活用である。これができたから成功者たりえたということだ。

徳川家康というのは、実はひらめきと決断力のある信長に負ける。また、アイデアと機知に富んだ秀吉にも劣る。だが、彼ら天分を持っている人間は、過去の記録をデータ化しなくても自らの才で切り開くことができるが。その才能ゆえに人の気持ちがわからずに憎しみを背負ったりするし、才が衰える高齢になるとガタガタになる。だが、そうではなくデータ化することで、人からの憎しみを負うことは回避できるし、自らが高齢になろうがデーターを共有すれば、その指針は行き渡る。凡人が天才に勝つ典型なのだろう。いや、これを徹底できるのだから、徳川家康は偉大なる凡人というやつだ。

ところで写真用品である。前回、この欄では浅沼商会がキングブランドでレンズヒーターを発売した件について触れたが、今回はフォトプロブランドのカメラクーラーの販売を開始した。動画撮影などで長時間使ってオーバーヒートしたカメラ本体を冷やす。簡単にカメラに取り付けることができるし、非常に扱いやすい。それにしても、ヒーターで温めて、さらにクーラーで冷やすという機器を立て続けに世に提案する。

まさに、フォトプロのカメラクーラーは浅沼商会の英雄的振り幅を感じさせる製品、なのだ。

しかし、本当にそうだよなぁ。浅沼商会は創立が1871年だ。わかりやすく言うと、徳川慶喜公が大政奉還してからわずか4年後である。それこそ、歴史上の偉人と言われる西郷も大久保も勝海舟も生きていた。そんな歴史を背負っているのだから、それは多くの経験則やデータも持っているんだろうなぁ。。
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キングのレンズヒーターは全ての人の心を暖めるのだ

 夜、帰宅する際にイルミネーションを飾っている住宅がある。もちろん、イルミネーションなどはこの時期、繁華街で散見される。だが、住宅地で見るのは、ちょっと珍しい。

そういう意味で注意深く見ると、たまにだが住宅にもイルミネーションを飾っている光景があった。浅沼レンズ.jpgもちろん、規模の大小はある。家全体を覆うようなものから、外から見える窓辺の中に、ちょっと飾られているものもある。

以前は、こういうものは気にも留めなかった。というのは、実利はないと考えていたからだ。今から考えると、どれだけ心がさもしいのかわかりそうなものだが。仕方がない。だが、である。夜、寒い時に道を歩くと、ふと心が和らぐのだ。つまり、イルミネーション同様に心の中にも灯りがともるのである。結局、こういうものは、人がホッとできる存在なのだ。すなわち、ちょっとした気遣いの芸術品のようなものは、どれだけ人の心を和ませるかなのだ。

見落としがちだが、そういった存在は、どんなジャンルのものにもある気がする。例えば、写真用品である。つい最近、浅沼商会からレンズヒーターが発売された。文字通りに、レンズを温めるための用品である。レンズに巻きつけられるようになっている。この用品については、本当にすべての撮影者というよりも、寒冷地での撮影に挑む、野鳥撮影や星景写真撮影を楽しめるような人々がいいのだろう。だが、逆に考えれば、そういう層に確実にアピールすれば、堅調に売れる商品だろう。買った人も、買ってもらった会社もどちらも温まるということだ。

まさに、キングのレンズヒーターは買う側も売る側も心が温まる商品、なのだ。

しかし、本当にそうだよなぁ。。わかる人はわかるし、常に一定の需要のある商材だ。寒い時には、レンズヒーターという常識ができそうだ。あくまで、一部の人にだが・・。
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KANIフィルターの新ホルダーシステムは覇道を突き進むロカユニバーサルの新兵器だ

 過渡期というか、時代が動くときには様々な現象が起こり、様々な集団や人物が入り乱れるものだ。今までの秩序が壊れて、新たなものが生まれるから、そうなるのだが。歴史的に見ると、この時ほど面白い時期はない。

巷間言われるように、戦国時代などはその典型である。もともとの貴族など血統の良い人々が土着化kanikunn.jpegした守護大名たちの勢いが弱まり、ある意味有象無象な人物が天下を取っていく。とはいっても、全くの在野の集団では駄目である。やはり、そこは有力貴族の縁続きというか、そういった皮をかぶらないといけない。

そういう観点でみると、戦国大名といえども、言われているほど慮外者ではないことがわかる。特に、新たな資料が次々と発見されており、明らかだ。例えば、下克上の祖と言われる小田原の北条早雲については、今まではただの浪人が戦乱の関東に下り成り上がった、と言われていたが。資料の発見により、実は伊勢氏という名門の家の出で、要は中央の高級官僚が地方の首長選に打って出たくらいの感じであったことが明らかになった。秩序は崩していないのだ。また、同じく下克上の斎藤道三だって、一代で成り上がったのではなく、あれは親子二代の流れであることがわかった。いきなり、徒手空拳で上にいったのではない。そういわれると、あの織田信長だって、いきなり出てきたと思われるかもしれないが、実は名門斯波氏の被官の家柄だ。まぁ、陪臣の陪臣といったところだが。

だが、いずれにしても、こういうことをして名を挙げた人物には共通した点はある。覇道を貫く徹底した気力というかエネルギーだ。何もない荒野を開拓し突き進む、そんなパワーというかエネルギーを感じる。

ところで、写真用品である。こういうパワーを特に最近感じるのはロカユニバーサルデザインである。KANIフィルターでお馴染みの同社だが、ともかく未だ未開拓状態であった我が国の角型フィルター市場に突き進み、覇を誇っている。ここの動きを見ると、ともかくエネルギーの塊の覇道を行く信長を連想する。特に、新製品であるフィルターホルダーシステムのHTⅣは、フレーム仕様のフィルターシステムで、ホルダーに取り付けるCPLもマグネット仕様になっている。フレーム部分もアルミ削り出しであり、いかにも強さと精度の高さを感じる。

まさに、KANIフィルターのHTⅣは覇道を行くロカユニバーサルデザインの勢いを感じさせる商品だ。

しかし、世の中、覇道が通用する時代だよなぁ。その後に、新たな秩序が形成されいていくが、その新たな秩序の中でも、ロカユニバーサルは一角を担うんだろうなぁ。。変化を繰り返しながら。
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フォトプロの縦横変換プレートはふと手にしてしまう写真用品だ。

  人は何もかも無くした場合は、どうするのだろうか。いや、これは戦争などの全ての人を巻き込んで起こったものが要因ではない場合だ。皆同じ状況だと、喪失感もあるが、なにやら一体感というものが生まれて気力が湧いてくる場合もあるだろうから。

問題は、個人が無くした場合だ。他の人らは持っている。ただ、自分だけが無くした際だ。このなくフォトプロ新製品.jpgすというのは、天災的なものではない。それは不幸であるが、不幸ということでどこか納得できる。そうではない。例えば、職場は何らかの事情で追われ、家庭はなにやらのことで追い出され、職場など社会生活に密着した関係の知人からは断絶する。

この場合は、他人には関係なく、幸せな世帯はいるのだから、ある意味絶対的な孤独に陥るわけだ。その時、人ってどうするのだろうかな。この質問を、若い世代にしたことがある。彼は、しばらく考えたのち『自分はモノを何か作ったりすることが好きだから、多分、そういうことに没頭するかな。仕事は食べるだけのアルバイトでもして」と言っていた。

そう、こういうものかもしれない。よく、何もかも無くすと生きる気力もなくしてしまうと考えられる。確かにそうだろう。だが、人などというのは、簡単に死を実行できないのだ。いや、死に進む人間というのは、そういうモノではないことが多い。する人間は、表面的には何もないのにしてしまうことが多い。

いずれにしても、死にも進まない。それでは、何をするのかというと。まずは、食うための動きはする。これは、当たり前だ。生活はするからだ。そのうえで、手にするものは何か。やはり、なんとなく身近でかつ、潜在的にやりたかったことなのだろう。例えば、絵が好きだった人間は、なんとなく絵画を嗜んでみる。身体を動かすのが好きだった人は、とりあえずランニングに凝ってみる、とかだろう。坂口安吾先生は、堕落論のなかで、落ち切ってしまえば上がれる、と書いたが。その上がるきっかけは身近な、かつ自分に向いている簡単なモノではないか。

ところで、写真用品である。そう、そういういろいろなモノを手に取り写真を楽しんでいた人が、いろいろとあって、カメラ趣味を軽くにしようとして経過したのち、手に取る用品といえば、フォトプロの縦横変換プレートではないか。縦横構図を瞬時に変換するアクセサリーである。案外、空白な精神になったら、こういうアクセサリーを手に取り、なんとなく楽しみでするカメラの趣味を復活させるんじゃないか。

まさに、フォトプロの縦横変換アクセサリーは空白の精神でふと手に取れる写真用品だ。

しかし、本当にそうだよなぁ。でも、何もかも無くした時こそ、人は本当の自分を見ることができるかもしれない。やはり、堕落論のように無から立ち上がれである。
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