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キングのピンホールカメラ紙製組み立てキットは正統派の凄味がある商材なのだ

 この欄でも書いているが、歴史は好きである。が、白状すると歴史を系統立てて学んだわけではない。では、なぜ歴史について書いているのかというと単なる歴史雑学的なものが好きだからだ。

ピンホールカメラ.jpgまぁ、別にこれでもいいのだが。それでも、雑学蘊蓄ヤロウゆえに、自分の邪道さを思い知らされる時がある。そのもっともたるものが、正統に歴史を学んだ人物と話す時だ。史学科の出身で、さらに大学院にまで進み研究者になった友人がいるが。その人間と歴史の話をすると、自分の知識の底の浅さが嫌でも目に付く。もちろん、温厚な人物なので、そんなことを指摘しはしないが。それより、自覚してしまうほうが恐ろしい。たとえて言うと、政治について語っているときにゴシップネタしか話せない奴のようだ。そんな自分をまざまざと見せつけられる。困ったものだ。

このような場面に遭遇するときに思うのは、正統派はなんだかんだといって強いということだ。正統派といっても、独学でもなんでもいいのだが、基礎からみっちりとやってきた人間は強いということだ。これは、人間の氏についても言えるかもしれない。これまで、多くの歴史上の人物の子孫なるものに会う機会があったが。やはり、正統派の高い家格の武士の系統などの人間にあうと、どうしても独特の凄味を感じるし強さも感じる。こちらの氏の悪さみたいなものを見せつけられる。

そういう意味で言えば、浅沼商会の今回の新製品は実にいい。そうキングのピンホールカメラ紙製組み立てキットである。カメラの原点のようなピンホールカメラで、しかも出来上がったデザインはなんとなくライカにも似ている。加えて、それを販売するのが浅沼商会である。もとは、1871年に設立された老舗中の老舗だ。夏目漱石や西郷隆盛も名前を聞いたことがあるかもしれないくらい、古くから存在しているのだ。その正統派が正統派の気軽に楽しめる組立キットを販売する。これは、うけること間違いなしだろう。

まさに、キングのピンホールカメラ紙製組み立てキットは、正統派の凄味を感じさせる商品なのだ

しかし、本当にそうだよなぁ。正統派はなんとなく眩しい。森鴎外は終生、軍人としては居丈高な姿勢を貫いたらしいが。もともと、武士階級ならぬ医者坊主と呼ばれていた自分の出自に劣等感をいただていた裏返しだという説もあるのだ。まぁ、個人てきには邪道でも庶民でもいいような気がするが。自分を貫くなら・・。
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レオフォト三脚は徳川家康的手法で製品開発をし独自の路線を作り上げたのだ

 世の中には文句なく天才という人物がいる。圧倒されすぎて文句を言えない感じの存在だ。

LS-223C_01-320x320 レオ府音.jpg例えば、上杉謙信である。ともかく、戦に関しては天才的であった。もちろん、基本は学んだろうが、いざ現場になると状況を見て、その場で陣形を指示して、それがピタリと当たる。こんなこと、普通はできるわけがない。彼は、自分のことを神だと思っていたようだが、それもわかる気がする。あるいは、林崎甚助という武芸者がいる。剣術の居合というものを創始した人物だが、こんなことよく思いついたなぁと思う。天才なのだろう。

これに対して、秀才というタイプもいる。ともかく、勉強や研究熱心だ。天才のような独創性はないものの、様々な先例を駆使して実績をあげる。この秀才の代表的な人物が武田信玄だ。彼の陣形は、よく計算しつくされており、これもまた失敗がない。いや、むしろ天才的な謙信の戦法より間違いは少ないのかもしれない。

いずれにしても、天才にしろ秀才にしろ、たいしたものである。というか、凡人はどちらにも当てはまらない。では、その凡人はどうしたらいいのだろうか。簡単である。ともかく、長生きして天才や秀才が手掛けてくれた方法を物まねすればいいのだ。物まねの対象は時代が下るほど増えていくのだから、これを駆使すれば相当のものになる。この物まねが抜群にうまかったのが、徳川家康だ。最後の勝利者か。だが、この物真似は物まねだけにとどまらない。ここから、工夫が加えられて独自のものが生み出されたりするのだ。

三脚メーカーのひとつに、レオフォトというブランドがある。最初こそ、物まね的な言われ方をしたのだが、いつの間にか独自のスタンスで商品を作り、今や人気ブランドのひとつである。最初は、昔からのブランドの物まねと言われたが。が、だんだんと他社製品の良いところを取り入れ咀嚼して、いつの間にか独自の高品質の製品群を発売した。まさに、真似から真を生み出した。センターポールを外すなど独創的なやり方だ。

レオフォト三脚は徳川家康のような存在になりつつある製品だ。 しかし、本当にそうだよなぁ。人には人のやり方がある。と、今思ったが。こちらのように、物まねもめんどくさがるタイプはどうしたらいいのか。。今夜の安酒場で考えるテーマにしよう・・。
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エヌイーピーが販売するスモールリグはポイントを外さないアイテムだ

 白亜紀にステノニコサウルスという恐竜が存在した。いわゆる、恐竜のイメージというのは図体が大きく運動能力が発達しているものの、知能がいまひとつ低いというものだが。そういう従来のイメージとは全く異なり、体調はせいぜい2メートルほど。また頭脳の容量が大きかった。二本歩行をして、前肢の指で器用にものをつかんだという。

w305__N_1126356p1スモールリグ.jpgもし、恐竜が隕石の衝突などで死滅しなかったら、進化したのは、この種だったのではないかと言われている。で、この種の強みは、その高い知能と器用な前脚ゆえに、ある程度の環境に適応できたということだろう。今まで、多くの動物が地球では栄えたが、よく言われるように、環境に適合するものが生き残るということは事実だ。

これは、企業にも言える。企業も、どんなに売り上げをあげても、やがてくる市場環境の変化についていけないと、結局は滅びる。逆に、これができれば規模に関係なく、生き残るどころか、常に安定した利益もあげられる。

主に、放送関係ルートに多くの商材を提供するエヌイーピーという企業がある。こここそ、まさに環境の変化というか、周囲の意向に密着してビジネスを展開し、時期に関わらずに安定した売り上げをあげている。実際に、同社の社長に聞いたのだが。自分らで独特の製品を企画するというよりも、得意先である放送関係の人々や、取引先の放送機器メーカーの意向を聞いてほしい商品を発売するという流れを特徴にしている。望まれていた商品なので、確実に売り上げが見込めることになる。また、それをベースにやや、一般的にした商品も発売することがあるが、これは市場の要望にそれていない商品となるので、きちんと売れる。

昔というか、今でもあるが。各試験に合格する訓練の一つとして、一問一答式の問題を解くというのがある。これにより、重要ポイントもわかるのだから、この後で基本書的な参考書を読んでも、ポイントを外さずに流れを理解しやすくなる。有効なやり方だ。

エヌイーピーのやり方は、このやり方に似ている気がする。市場の要望を外すことなく、一定の売り上げをあげるわけである。で、同社が外部の取り扱い商材として扱っているのが、スモールリグである。カメラを本格的な動画用機材並みに、変えてしまうリグである。これは、今の動画撮影への要望にもぴったりとあっている。外さない商材を発売しているのである。

まさに、エヌイーピーのスモールリグは市場を外さないポイントを押さえた参考書のような機材、なのだ。
しかし、本当にそうだよなぁ。。まず、欲するものに対応することだ。流れに乗っていくことだ。高級酒が流行るときは、高級酒を安酒が流行るときは安酒を、だ。。
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エーディテクノの新型スイッチャーは絶望を希望に変える機材なのだ

 人間万事塞翁が馬という。マイナスが考え方次第でマイナスではなく、むしろプラスといったことだ。その元になっている中国の話もあるが、面倒なので書く気はない。

 もっと言えば、これは絶望を希望に変えられるというコツのようなものかもしれない。物事は、考え方次第で前向きになれるからだ。歴史に例を求めると、まだ発展途上の徳川家康のケースもある。彼が、武田信玄と戦った際に、敢えて負けるとわかり、しかも必須ではないのに戦を仕掛けたのだ。結果はもちろん、惨敗だ。本当かどうかわからないが、彼は恐怖のあまり馬上で糞をもらしたといいう話もある。ただし、不思議なのは彼が敢えて戦った理由だ。さしもの老獪な家康も、まだ若かったから、という考え方もあるが。それだけではないだろう。

一説によると、家康は無謀ともいえる戦を仕掛けることで、あの武田信玄にも逃げずに戦をしたという評価を得たかったということもあったようだ。ただ、黙って籠城でもしてれば、信玄も先を急ぐ。そのまま領内を通り過ぎた可能性が高い。だが、その際に世間の評判で、彼は臆病者のそしりを免れないだろう。そうなると、周辺国は見くびり攻めてこられるし、領内で一応従っている元豪族の連中も反乱を起こすかもしれない。だが、ここで死ぬ気で戦えば、若いのに勇猛というイメージはつく。退いても駄目だし、押してもいいが死ぬ確率は高い。どっちに行っても難しいなら、戦おうということだ。

結果、彼の名は東海道地区でまず広まり、徳川家康と言えば骨のある戦上手という評判が高くなった。まさに、絶望的状況を希望に変えたわけだ。

ところで、写真用品である。新型ウィルス感染拡大防止の影響というのは、用品メーカーにもかなり打撃を与えている。バッグなど外にいかないのだから、売れないという図式が説得力を持つ。そんなメーカーは、中止が続く展示会ではなくオンラインなどで、イチオシの商材を紹介しようと考えつつある。それは、企業だけではなくプロカメラマンも同様だ。対面ではなく、オンラインで自分をアピールするのだ。だが、こんな時にも改めて思ったのは、専門の機材がないということだ。今まで、他業界のことと思い見ていなかったが、扱いやすい放送機材が必要になってくるのだ。

PVS0613-1.jpgその点では、エーディテクノの新製品のスイッチャーが注目されつつあるようだ。小型軽量ながらSÐI入力4系統とHDMI入力2系統の6系統がある。カメラやプレイヤー、PCなど異なるフォーマットで入力する場合でも独自の機能により、出力フォーマットを統一することができる。HDMIアダプターを利用しiPhoneなどのスマートフォンを接続すれば、その画面もスムーズに活用できる。さらに2系統のRCAオーディオ入力端子とステレオミニジャック、2チャンネルまでの音声を合成するミキサー機能も搭載。これを活用することにより、リポートを行いながらバックミュージックなどの演出も一台で可能。ワイプ画面のような演出もできるようになっている。今回は、2機種発売されるがノートPCのような開閉設計で13.3型ディスプレイが標準搭載されているタイプもある。扱い方も簡単だし、値段もそんな高くはない。

まさに、エーディテクノが国内販売するスイッチャーは追い詰められた状況を覆すものなのだ

しかし、本当にそうだよなぁ。何があっても、結局はその失敗なりが悪いのではなく、良いイメージに変えるエネルギーを持つことが重要だからなぁ。こちらも、安酒呑むのは、後に安酒専門の放浪記でも書いて儲けられるという暗示かもしれない。  
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ハクバのeポッドセルフィ―は藤堂高虎公なみに空気を読んだ製品だ

 人が生きるうえでブレてしまうのは良いこととは言えない。たとえ、それが偽りの行き方であってもだ。中途半端に真実をさらけ出すと、とんでもない破綻を招いたりする。

hakubasab.jpg豊臣秀吉の失敗はそこだったと言われている。彼は、周知のように農民しかも小作農の出であり、まさに小者からたたき上げて、天下に関白宣言した。性格は、謙虚であり誰にでもヘリ下り、場の雰囲気を和ませるために、まさに猿真似もするなど練れた人物であった、、はずであった。だが、本来の彼はそんなことはない。誰よりも権勢欲も支配欲も強い。依怙贔屓も盲目的だし。おまけに、それらの点を傷つけるものがあると容赦しなかったし、刑には残酷であった。

だが、成り上がり者として、自分より遥かに出自や学問、武勇があるものを手なずけ、良い気分にさせて協力させるのに、どうしても天性を押し殺す必要がある。そのために、苦労した経験で得られた第二の性格や行動を自分に課して地位をつかんでいった。と、ここまではいい。それなら、それで徹底すべきであった。が、さしもの彼も上役的な人間がいなくなる状態になったら、その演技が続かなくなり本音が出た。自分に歯向かうものや邪魔なものには残虐な刑罰もするし、色事には見境がなくなる。挙句の果てには、肉親の可愛さがすすみ、死の際に子供の豊臣秀頼の行く末を頼む、と徳川家康に懇願しながら死去した。だが、秀頼などというのは、まだ幼子であり海の者とも山の者ともわからなかった。サポート体制も制服組と背広組の対立を残しており、案の定、老獪な家康の手管にのり、政権は崩壊した。

いくら認知症が進んだとはいえ、なぜ、自分の演技を保てなかったのか。いや、せめて年をとってきたら正常な判断が衰えるのだから、さっさと引退してしっかりとした後継者を薄い血縁でもいいから決めておけばよかったのだ。そのうえ、自分は一切口を出さない。本性を出してしまったのが、彼の晩年の失敗だったと思う。

これとは逆の例もある。徹底して貫いたパターンだ。三国志時代の劉備玄徳である。彼は、どちらかというと育ちの良い遊び人の頭みたいだが、正すべき時は正せるタイプではあり、そのルールは死ぬまで破らなかった。死の間際に諸葛亮孔明に対して「もし、子供の劉禅に、器がなければ、お前が国を治めてくれ。子供には、生活がたつようにしてくれるだけでいいから」と言い残している。これは、本音を語りつつも自己を徹底して貫いている。

日本でも、そういう人物はいる。秀吉の弟の秀長にも使えたことがある藤堂高虎だ。この高虎。先祖はきっちりとした家柄ではあるが、没落して足軽の身分から身を起こした。その後に、主君を何度も変えたり、流浪しているときに生活が苦しい時は、無銭飲食もしている。そうして身に着けた、徹底して相手に取り入るという姿勢は最後まで崩さなかった。人は気が変わる、ということを常に頭に叩き込んでいたのだろう。あの老獪で用心深い家康をも、律儀な人間と死ぬまで信じ込ませた。

手柄をあげて、伊勢の国を領していた晩年には、わざわざ家康のもとに出向き。自分が死んだあとは、不肖の倅が要衝である伊勢の国を治めるのは、徳川家にとってマイナスだ。国替えをしてほしいと頼んできた。家康は、逆にその律義さと忠誠心に感じ入り、そのままおさめることを厳命したうえに、新参者だった藤堂高虎を譜代待遇にした。最後まで、自分の演技を崩さずに貫いた。もっとも、死んだ後までは無理だ。幕末の戊辰戦争の際に、幕府方で最初に裏切ったのが藤堂藩だったという。有利なところに着くという習性はそのままだったか。。

ともかく、すべてに生き残るのは、このように状況を冷静に分析して、柔軟に対処するという能力ということだ。この冷静な対応力ということを忘れない事だろう。

そういう点では、ハクバ写真産業の姿勢は徹底している。時宜を読み、常にタイミングよく商材を送り出している。このほど発売したeポッドセルフィ―は、グリップとしても使えるミニ三脚とスマホを固定できるモバイルホルダーやアクションカメラ用のセットである。ヘッド部分は自由に傾けることができるので、細かい画角の調整も可能だ。まだまだ続きそうなテレワークや、第二波がきそうな自粛の際におうちフォトを楽しめるような気軽な用品となっている。

まさに、ハクバのeポッドセルフィ―は時世を藤堂高虎並みに読んだ製品、なのだ。

しかし・・藤堂高虎という人物は、調べれば調べるほど面白いよな。書いたように、足軽から成り上がり、無銭飲食も経験しているところなど話題にも富む。かなり、大河ドラマ向きの人物だと思うけどなぁ・・。再来年の北条義時よりも。。
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ビクセンのフォトガイダーセットは芯をしっかりとわきまえたビクセンらしい提案の品だ

 やはり、指揮官もしくは上層部全体の能力によって、組織の行き方が決まるというのは確実だと思う。

再来年の大河ドラマは北条義時を主人公にした鎌倉時代の話なのだが。その北条義時の人生最大のヤマ場のひとつは、承久の乱への対応だろう。この乱は、やたらと北条側の立場で描写されていることが多いが、こと後鳥羽上皇側で見ても面白いと思う。上皇方にも、それなりの考えもあったし、不満もあったろう。が、上皇軍の立場で書かれた小説なりテレビドラマは存在しない。場合によっては、上皇が勝利を収めたのかもしれないのにだ。といのも、いくら鎌倉幕府といえども、全国あまねく敬服しているわけではない。南や北の勢力をうまく糾合していけば可能性はなくはなかった。事実、この乱のしばらく後に、幕府は潜在的な不満分子らが後醍醐天皇の呼びかけに応じ、倒されているのだ。

しかし、結果として駄目だった。この要因はいくつもあるだろうが。要は、指揮官および周囲の執行役の面々の至らなさ以外何物でもない。では、どういう点が至らなかったというと、一言で言うと、決断力とそれを維持するだけの覚悟であろう。

その象徴的なのが、上皇側の大将軍の一人であった藤原秀澄の行動である。どうにも、彼は決断力にとぼしく、情けないことに怯懦であった。幅広く布陣しないと恐かったのであろう。美濃国と尾張川あたりに布陣し、自身は墨俣に陣を張るという形で幅広く陣を敷いた。この幅広い陣の敷き方は、もともと強いほうの勢力のやり方だ。少なくとも、既存勢力を打ち破る気のチャレンジャーの取るべき布陣ではない。

ビクセン.jpg一か八か、こういう時は勢力を集中させて、目標を一点に定めて敵の中心部を攻撃すべきだ。事実、上皇軍の中で、唯一といっていいくらいの歴戦の勇士である山田重忠という武将が、集中して尾張国府を攻め滅ぼすべきだと進言したのだが、本格的な戦やリスクに恐れをなした秀澄は採用せずに、挙句の果てには逃げ帰り、上皇には見捨てられてつかまり刑死した。まぁ、本人のことは自分の器の問題だから致し方ないだろう。もし、器に無いと思うなら、その下の弟みたいに戦に関わらなければ、命は永らえた。そのあたりは、自分の選択だ。だが、少なくとも、彼によって統率された山田重忠はじめとする兵士たちは、決断力と覚悟がないばかりに、むざむざ勝てる可能性があった戦で命を落とすことになった。

この決断と覚悟はどちらが欠けてもうまくいかない。例えば、小早川秀秋といえば、後世はかなりのヘタレで描かれているが、どういう経緯であれ、彼の関ヶ原での対処の仕方は間違っていなかったはずだ。決断は悪くなかったのだ。明治時代に入り、ドイツあたりの参謀が当時の布陣の図だけを見て、西軍の勝ちと判断した。その後に、小早川の寝返りの話を聞き、なるほどと納得したらしいが。甘いのだ。

天下分け目などと言われているが、大規模とはいえ局地的な戦なのだ関ヶ原は。仮に、西軍が勝ったとしよう。だが、せいぜい西国方面で勢力を敷けるだけだ。逆に、連合体ともいうべき勢力だったのだから、新たな政府での主導権争いがあり、結局崩れて内乱状態になっただろう。

その点では、用心深い家康のことだから、自分は逃げ帰るだろうし。仮に自分が死んだとしても、備えはきっちりと関東に残してある。大大名として徳川家は残ったろうし、そうなると改めて東を固めた徳川が台頭してくる。そのあたりが、連合体と一個の君主に率いられた軍団との差だ。

西軍にそのままいたところで、小早川もその後の内乱に巻き込まれて、改めて命を落としたかもしれない。いずれにしても、彼が家康についたという決断は正しかったのだ。少なくとも、大きな大名に取り立てられたのだから。では、何が悪かったのかというと、戦後に世間の悪評を気にしすぎて自暴自棄になった点だ。酒に身を持ち崩し、軽率な振る舞いが多く、譜代の家臣は次々と離反。挙句の果てに、一応病死となっているが、なんだかあやふやな理由で命を落とし名門の小早川家も断絶した。決断力はあったかもしれないが、その後、どんな形でもそれを維持する覚悟がなかった例だ。

この決断力と覚悟。これが将に将たる人物の必須条件だ。よく勘違いされるが、なにも自分の能力が優れていなくてもいいのだ。せいぜい、並み以上の業務能力があればいい。優れた人材をうまく使いこなせばいいだけだ。逆に、自分自身が優れすぎている場合は、自分の意志通りに人は動かないのだから。それだけで行きたいのなら、組織は敢えて小さいままにすべきだろう。一人の天才とそれを支えるスタッフという形式で行けばいいのだ。どちらかといえば、今売り出し中の企業であるカニフィルターのロカユニバーサルデザインなどが、業界ではこれに近い。

いずれにしても、こういう点から言えば、写真業界ではビクセンの在り方に注目している。もちろん、指揮者である経営者には、インタビューしたわけではない。が、何か企業の方向性をしっかりと打ち出している。星空を楽しみたくなる文化を創り出すことをモットーという芯を決してぶれさせない。芯がしっかりしているから、いろいろと手を出しているように見えて、やっている範囲は統一している。出す商品も、光学機器のほか雑貨系のものもあるが、それでも芯はしっかりとしている。決断と維持する覚悟があるメーカーだ。

で、そんな同社が直近で提案しているのが、星景写真を手軽に始められるツールセットであるAPフォトガイダー・望遠撮影キットである。セットものをトータルに手軽に提案しているが、やはり芯はしっかりと見据えている商材だ。

まさに、ビクセンは決断力と覚悟を持って星の世界を広めるためのメーカー、なのだ。 しかし・・本当にそうだよなぁ。ビクセンはぶれないと思う。ぶれない生き方は個人でももちろん重要だ。例えば、安い酒場ばかりで、ともかく酔えればいいという決断を貫くのも良いありかたなのだ。。

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VS‐543ASはベルボンらしい古武士の風格のある三脚だ

 NHKの朝ドラの番組内容の一部に苦情が来ているという。なに、たいしたものではない。現在、放送中の作曲家の古関裕而氏をモデルにしたドラマの内容だ。周知のように、古関氏は早稲田大学の応援歌である「碧空の空」を作曲したことで有名だが。そのエピソードの際に、ライバルの慶應大学の応援団の学生が登場。敵役っぽい、いかにも傲慢で気障なキャラクター造形に慶應出身者から文句が来たのだ。


VS-543AS.jpgこれは気持ちはわかるが、単なる演出なのだから頭にくることはないだろう。だが、問題はこういうふうに描かれている背景だ。そこに、日本人の人間への嗜好があるような気がするのだ。要は、熱血型や古武士型への贔屓である。一方、天才型やクールなタイプは、カッコいいとあこがれはされるが、今ひとつ贔屓にはされない。良くて、準主役だ。古いアニメでは、星飛雄馬と花形満。歴史上の人物だと源義経と源頼朝、これは判官贔屓の名前の由来だが。新田義貞と足利尊氏もそうだろう。さらにいえば、豊臣政権下での加藤清正、福島正則らと石田三成、長束正家。徳川時代には本多忠勝、榊原康政などの武闘派の熱血漢と本多正信といった裏方か。さらには、幕末から明治では西郷隆盛と大久保利通の関係がある。長州では、高杉晋作と桂小五郎か。そして、この早稲田と慶應だ。バンカラで熱血のイメージがある早稲田は政治家の大隈重信が創設。常に、抵抗する政治的なイメージがある。思想家が創り、一歩引いた立場から世の中を観ていた福沢諭吉。こういう図式になってしまうのだろうなぁ。

ところで、写真用品である。用品メーカーの中でも、そういった古武士的なイメージがあるのは個人的には、ベルボンである。失礼ながら、ちょっと不器用な感じだが。品質重視で優れた品を作る。開発に時間をかけ、その分しっかりした仕上がりを提供する。ちなみに、その典型的な商品だと最近思ったのが、VS-543ASだ。一言で説明すると、エレベーターの角度を自由に変更できる多機能4段三脚ということになる。地面スレスレのローアングルから187cmのハイポジション撮影まで可能である。ベルボンでは、もともとあったシリーズの最新機種ということになる。三脚や雲台の大型化といったユーザー意見を取り上げている。よりしっかりした製品というのを目指している品だ。

まさに、ベルボンのVS‐543ASは古武士的な風格のあるしっかりした製品、なのだ。 しかし・・本当にベルボンは良い風格の品をいつも作るよなぁ。。この欄でも書いたと思うが。ベルボンという会社が業界紙記者として取材したときに、雰囲気の良さというのを特に感じた会社だ。なにがいいかと具体的に問われたら困るが。ともかく、全体の雰囲気が良かったのだ。これも、古武士らしい折り目正しい空気感だろうか・。
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マルミ光機のND100000は世界を明確にするフィルターなのだ

 ちょっと私的なことで関連があったのだが。不動産取引特に土地取引について考えてみたのだが。なんと、不透明でかつ油断のならないものだろうか、と改めて感じた。

 まず、不透明という部分で言うと、民法上でも堂々と二重譲渡を認めているところだ。例えば、A男さんが、3000万円くらいの価値の土地をもっていたとする。現金が欲しい彼は、それをC三郎さんに売った。まぁ、ここまではいい。単なる取引だ。だが、さらに欲が出たA男さんは、それを全く別のB史郎さんに売った。つまり、ひとつのものを二人に売るという摩訶不思議なことをやってのけたのだ。こんなの普通に考えればありえない。が、民法はこれを認めているのだ。もちろん、その理由付けとしては、土地は最初のC三郎さんに売った段階でも不完全な形でしか所有権は移っていないとみなされるからだ。逆に不完全だけあって、最初に持っていたA男さんにもまだ所有権は残っている。だから、それをB史郎さんにも売れるというわけだ。これはこうなっているとしか、言いようがない。だが、である。普通に考えれば、こんな滅茶苦茶な話はない。まぁ、これはこうなる状態を改善するために登記という話が出てくるのだが。それはどうでもいい。これでは、世の中の何を信じればいいのかわからなくなる。

emedama_4957638075695.jpg油断のならないという点では、目に見えないものがついてくる可能性があるからだ。いや、地縛霊のような類のものではない。抵当権という借金のカタがついてくるということだ。知らずに、こういった土地を買ってしまったら始末が悪い。そうそうに、この権利を行使されて取られてしまいかねない。もっとも、これもだからこそ登記制度があり、これを事前に調べようということになるが。そんなことはどうでもいい。いずれにしても、油断ならないことであることは確かだ。

堂々とこれらが、まかり通っているのだから日本は真の意味で法治国家ではなく放置国家かといいたくなる。

土地取引などといった純粋に権利関係が取りざたされる行為にもこういう部分があるくらいなのだから、ましてや人間のように感情が読めない存在の行動などは不透明このうえなさそうだ。

今さら書いても仕方ないことだが。世の中、不透明で油断がならない。そんな世界の中に、われわれは生きているという言い方もできるかもしれない。

だが、そんな薄暗い世界を正しくとらえるような撮影用アクセサリーはある。日食などの際にも明確な撮影ができるマルミ光機のND100000 である。とりあえず、今月には部分日食もある。そういう時に抜群に使い勝手がいいのだ。

まさに、マルミ光機のND100000は世の中をしっかりとらえられるフィルター、なのだ。

しかし、本当にそうだよなぁ。理不尽でも先行き見えなくても、なにか自分の視点にフィルターをかけていけば正確にとらえられる場面はあるかもしれない。。 emedama_4957638075695.jpg
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GODOXの新小型LEDは軽さも含めて光あふれる品なのだ

 自分を分析すると、どうしても軽薄で器が小さいという部分が目につく。まぁ、これは仕方ない。だが、こちらの性格についてはともかくとして。この軽いと小さい器というのは、本当に一般的にはマイナスなのだろうか。ちょっと考えてみた。

4961360038903.PT05.jpgまず、軽いという部分である。これはいちがいに欠点とはいえない。例えば、豊臣秀吉である。どうみても、彼は軽い。いや、瞬発的な頭のキレや行動力は一流だ。だが、なんというか長期的に見通して行動するとか。そのあたりは、非常に浅い部分がある。つまり、軽いのだ。なので、晩年に至り、得意の頭の良さや行動力が発揮できなくなると、信じられないほど酷薄で途方もない夢を軽々しくスタートさせた。結果、日本国内は大変な目にあうのだが。もとはといえば、彼の軽々しいところが原因だ。もっとも、少なくとも、その軽さで天下はとれたのだ。軽薄も必ずしもマイナスにはならず、場合によっては利点になる。重々しすぎると、信長みたいに恨みも買う。

一方、器の小ささという部分はどうだろうか。その例として、源義経がいる。彼は、天才的な軍事の戦術家ではあった。固定概念に縛られない合理主義的なところもあった。だが、どこか器が小さい。少しはじっとしてればいいものを、兄貴である頼朝に嫌われたという噂を聞くと、泣きながらかけつけ、挙句の果てに面会を拒否される。さらに、その精神状態につけこまれた勢力に利用されて、挙句の果ては東北の地で死を迎える。最初に自ら動かずに、頼朝の動きを探り、対処するか。どうしても対立しなければいけなくなったら、京都をすべて味方につけて、反頼朝勢力を糾合し対峙してみてもよかったのだ。軍事の天才だが、器の小ささを感じる。もっとも、これも秀吉同様に器が小さくても、一応は名を残したのだ。

他にも例をあげようと思えば挙げられる。軽薄で器が小さい部分というのは、意外に使えるのかもしれない。

ところで写真用品である。ケンコープロフェショナルイメージングは6月5日にGODOXブランドで小型で軽量のR1ミニクリエィティブLEDライトを発売する。軽くて小ささが扱いやすさという特徴に表れている。さらに、軽くて小さいながらカラフルモードと豊富な特殊効果モードを装備している優れモノだ。

まさに、ケンコープロフェショナルイメージングの小型LEDライトのR1は軽さも小ささも魅力の品なのだ。
しかし、本当にそうだよなぁ。確か、高名な作家も軽薄のススメという本も書いている。軽かろうが、小さかろうが。まずは、世の中を生き抜くことが大事なんだろうなぁ
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山田屋写真用品の中仕切りパッドTWシリーズは真の批評家が喜ぶ製品だ

 既に故人となったが、ある文芸評論家が書いた文章が頭に残っている。ジャンル問わずに、批評家のあるべき姿勢について述べた部分だ。彼曰く批評家は、地下でもなく二階でもなく、常に一階の部分に居るべきものだと。『一階にとどまり、のほほんと机の前に身を置きつつも、地下一階の感覚、さらには地上二階の感覚を常に失わないでいる」。この姿勢が肝要だと。

山田さん②.jpgまぁ、深遠なる哲学的な話は、こちらには理解できない。が、自分なりに現世界的視点から解釈するとこんな感じか。社会的な弱者としての視点ももちつつも、権力者や経済的に恵まれた層の考えも理解できる、そういう資質、姿勢こそ批評家のあるべきものではないか、ということか。

そう解釈してみて、真っ先に頭に浮かんだ人物が、奈良時代初期の歌人である山上憶良である。彼は、もともと天皇家の侍医を務めた渡来人の子孫とも言われている。貴族社会では正統派ではないが、一応王家とはつながりはある。そのため、下級役人には就けた。だが、そこまでである。待っていても出世はできないし。政治力のようなものが備わっているわけではない。

おりもおり、世情は気候変動などの環境悪化も加わり、税を搾り取られる庶民の生活は苦境を究めた。下級役人として、その惨状をリアルに見た彼は、状況を歌という形であらわした。貧窮問答歌である。この時代は、社会批評などの明確な著作は日記程度のものであり、目立っていなかった。ましてや、社会評論家のような形で、食べていけるようなものは居なかった。なので、実質的には彼こそその当時は一流の社会評論家であり、筆致がリアルなジャーナリストだったのかもしれない。総じていうと、真の批評家か。

特に、彼の筆を支えていたのは、先に書いたように一階の机に居るという不動の立場ではなかったろうか。貴族の考え方も聞ける。もちろん、庶民の苦しい生活も実感として理解できるのだ。逆に考えれば、こういう下級役人という一階の地位にいたからこそ、上も下も理解できる柔軟さが発揮できたのではないか。

ところで、写真用品である。そういう意味では、ニュートラルなパーツという性質をベースに柔軟な動きを示せている商品がある。山田屋写真用品の中仕切りパッドTWシリーズである。説明したとおりに、カメラバッグやインナーケース用のスペア・追加用中仕切りパッドである。2個の仕切りパッドを連結して制作されているのが特徴で、このために90度に曲げられて、うまくレンズを保護できるのである(写真)。まさに、中仕切りパッドという常にバッグの底の上にくっつくという立場をベースに、商材をフレシキブルに支えられるのである。

山田屋写真用品の中仕切パッドTWシリーズは山上憶良のような役割を示す製品、なのだ。

しかしだ。この欄でも取り上げたが、SNS上で過激な保守的言動をするシニア層だが。意外に真の批評家かもしれない。あくまで国家主義者として上からの考え方は賛同している。その一方で、自分に被害が及ぶような内容の事態が迫ると、人権などを主張してくる。まさに、一階部分に居る批評家の面目躍如的な動きかもしれない

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