プロフォトのC1PLUSはエース登場といった機材だ

 高校野球では、エースで4番というのが珍しくない。もっとも運動能力が優れてる人間が投手になるのだから当たり前か。世界の王さんも、早実時代は投手として活躍したし、漫画のメジャーの茂野吾郎もバッターとして主軸を務めていた。

ymapcamera_7340027550342.jpgつまり、能力があれば専門に徹しなくてもオールラウンドに動けるということか。弁護士資格があれば、税理士登録もできる。あと、ちょっと話はずれるが。居合という武術があり、それに比して普通に立ち合うのを立ち合いという。居合は、それだけで武道と成り立つほど奥が深い。要は刀を抜きざまに人を斬る技であり、威力は凄まじい。もっとも、それで完結する。だから、居合の猛者と果たし合いをする場合は、抜かせてしまうことだ。事実、そう言い切った剣客もいた。

だが、これもトータル能力が高いと問題ではない。一説では、宮本武蔵は居合も達者だったという。彼の場合は、若年の頃に基本的な技は父親である新免無二に教わったろうが、それ以降は実際の斬り合いの場で技を磨き身につけ、途中で教養も身につけ、それらを体系化してきた。毎日が死ぬか生きるかの場なら、当然ながら抜き打ちで相手を斬り倒す居合技の基本も自然と身につけただろう。ただし、そんなのは誰にでも出来ることではない。彼ほどの運動能力があってのことだ。

ところで、写真用品である。このほど、あのプロフォトが、なんとスマホ用ライトのC1PLUSおよびC1を発売した。最初は違和感があったのだが。モノを見て納得した。色温度の調整もできて、実にプロフォトらしい高機能なスマホ用なのだ。やはり、もともとの開発力のあるメーカーはなんでもカバーできるか。

まさに、プロフォトのC1PLUSは高校野球のエースを思わせる機材なのだ。

しかし、本当にそうだよなぁ。酒だって何も安いハイボール専門ではない。高い酒だって呑めるのだ。懐具合によっては。。
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ベルボンのバーダーズプロは普通の良さを改めて教えてくれる三脚なのだ

 物事の真実などわからない。一見、真実だと思われていることでも、実は勘違いや錯誤によって表現されていることもあるのだ。

 BIRDERS PRO_638_1600.jpgその良い例が千葉県の台風被害の復旧状況だろう。例えば、被害の大きかった市原市に関しては、復旧の見通しも立ち、プラスの方向に進んでいると思いきや、どういうわけか被害が拡大している印象もある。あれは、外部から見ると極めて奇異な現象が起こっているように思える。人災という見方をする人間もいる。だが、実は復旧見込みの発表そのものの根拠が甘かったのだ。逆に言えば、根拠がしっかりしないうちに記者発表をしたために、ああいう現象が起こったとも言えるそうだ。錯誤による発言が招いた失策ということだ。

これは、人物の在り方も同様だ。いくら、現在有名な偉人であろうと。本人が生前にそれを自覚していたとは思えないケースが多い。我々の現代の目から見れば、有名な偉人だろうと死後に評価されているパターンなどが多い。そうなると、本人は果たして栄光を感じて幸せな死を迎えられたのだろうか。。石川啄木や坂本龍馬など、どう考えても自分が偉人になるとは思ってなかったろう。では、彼らは本当に栄光を自覚していたのか。そんなことはないはずだ。

そう論を進めていくと、では一応、幸福を言うことができたのは、どんな人物がいたのだろうか。実は特定がなかなか難しい。というのも、そういう幸福を感じられた人間はドラマチックを求める人間ではなく、ちょっとばかり頭脳がある程度で、あとは平凡な人間ではなかったか。少なくとも、幕末から明治にかけては、そういう人間がそこそこ地位を得て、伯爵だか子爵くらいの地位を得て適度な役所の高官を歴任して、長生きして死んだ。メジャーな薩摩や長州出身で、常に内部争いにも巻き込まれずに乗り切ったのだ。

 つまり、そういった普通というのが、一番強いし確実なものなのではないか。

 ところで、写真用品である。ベルボンから野鳥観察用と敢えて強く打ち出した「バーダーズプロ638」だが、販売現場では好調のようだった。だが、この三脚は、これまで発表した同社の製品のパーツを組み合わせた形のものであり、オイルフリュードの雲台などもあるが、ちょっと地味なタイプの商材のように思われる。だが、そういった平凡を積み重ねた普通の商品の人気が高かったようだ。普通は強いのである。

まさに、ベルボンのバーダーズプロは日常の野鳥撮影に向くユニークな三脚、なのだ。

しかし・・本当にそうだよなぁ。普通というのは、かなり強いのだ。だが、こちらのようにもともと凡人に限って、普通のありがたみを無視し、普通でない生き方をしようと思うんだよなぁ。。



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セコニックの高性能な露出計で人間の陰日向さも測って欲しいものだ

 光と影は一体である。影の無い物質など存在しない。これが人間なら、さらにその傾向は進む。
いや、自分は陰日向が無いほうだと言っても無駄である。では、人によって、敬語をつかったり使わなかったりするのは何故だと言いたい。常に素の自分でいるなら、そうはならないはずだ。

 もちろん、他人には敬語で話し、親しい知人や家族にはタメ口というやつになる。それは、社会通念上認められていることである。気にすることではない。だが、少なくても全く素のままで生きている人間はかなり少ないということが理解できると思う。

この部分をしっかりと認識しないと、人間が織りなす群像劇のような歴史的な出来事は正しく見ることができない。単純に解釈してしまい非常につまらない結論に達したりする。加賀騒動と言われる御家騒動など、その好例だ。陰謀を企んだとされる大槻伝蔵という家老格の人物は、頭が切れて胆力があるせいか、どうも悪役として定着している。だが、そんな影の部分だけの人物ではない。それなのに、伝蔵の登用に反対してきた側が政権を取った瞬間から影の部分だけの人物にされた。御家乗っ取りを企む悪役にされたのである。だが、当時の制度や習俗から照らして、彼にそのような陰謀を企む余地があったとは思えないと復権している。作家では海音寺先生の悪人列伝にも記されている。

product_photo.jpg日向の面だけ強調されている場合もある。この欄でも以前、取り上げたが。幕末の剣客の沖田総司などは、優しく明るい性格が取り沙汰される。確かに、そういう部分はあったはずだが。基本は剣では天才型で、天才にありがちな、できない人間の気持ちがわからない指導者ではあった。皆、彼から剣の指南を受けるのは嫌がったという。清水次郎長なども中年以降のちょっとした善行がクローズアップされたが、地元では若い頃はゴロツキ呼ばわりされていた。まぁ、やくざさんだから当然だが。

こういうことに惑わされないためにも、人間自体の光量が測れるような露出計があると便利だ。また、陰の部分と光の部分の差がないと少なくとも陰日向の無い人物だともわかる。高性能の露出計を作り当てているセコニックさんなら作れるはずだ。

まさに、セコニックの高性能な露出計なら人間の光量差も図れそうだ[exclamation]

しかし、本当にそうだよなぁ。もっとも陰も程よくあったほうが良さそうだ。
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ケンコートキナーのゴムの木写真立ては空間の空気を操るのだ

 なくなって初めて存在感がわかるものがある。まずは家族あるいはパートナーか。あとは、髪の毛とか健康な目だろうが。まぁ、そんな話は今はいい。

4961607125892-thumb-autox600-35717.jpg問題は、逆もまた真なりで。なかったところに、ひっそりと加わることで実はかなり全体の印象をプラスにしてくれるものがあるということだ。そのひとつが、まずは読書の習慣か。これは、ジワジワと人間性を変えてくる。さらには筋トレか。これも試しに数年続けると、印象も変わるし、妙に人間性も変化する。否定的意見もあるが、クレッチマーの体型的性格分類で言うと、明らかに変化することになるだろう。武田真治さんも性格が変わったような気がしないでもない。アクセサリーで言うと、カツラやシークレットブーツを除くと、例えばワイシャツを暖色系にするだけで、かなり印象が違う。うまくいけばイタリア人になれる。

こういう観点から言うと、写真用品の場合は写真立てが、そうだろう。一見地味でも、ちょっと素材が特徴的な品にお気に入りの写真を入れて飾るだけで、実は部屋などの空間の印象がガラリと変わったりする。ちょっと、洒落た人間味が加わるのだ。

その中でも、最近の注目はケンコートキナーのゴムの木の写真立てだ。これは地味ながら、妙に味わいがあるのだ。

まさに、ケンコートキナーのゴムの木の写真立ては空間を変える、のだ。

しかし、本当にそうだよな。同様に、山田屋写真用品のゼロ式箸置きも勧めたい。なんか、勇ましい人間になれそうだ[exclamation]

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