ケンコートキナーが販売するオムニクリエィティブフィルターはコペルニクス的転回に目覚めるフィルターなのだ

 コペルニクス転回という言葉がある。名前からわかるとおりに、隆盛を極めた天動説に対してコペルニクスが地動説という全く違う説を披露。このように、目からうろこ的な全く違う視点に到達することをいう。あのカント先生も、これによって認識論という後に、多くの若い哲学者たちを参らせる難解な説を確立させた。

 もっとも、このコペルニクス的転回というのは、一般的にも使える。様々なシーンでモノの見方が180度変わるということはあるからだ。ある文学評論家は、武者小路実篤先生の小説の文章について出だしが平和的な私小説であるのに、いきなり自分が女に飢えている、と直截的な表現を使ったので驚愕したと語っていた。彼は、その後は武者小路先生の見方が全く変わったらしいから、コペルニクス的転回をしたことになるのかもしれない。

そういえば、浄土真宗の開祖である親鸞上人の教えを記したと言われる歎異抄を読むと、人はコペルニクス転回をすると言われている。それは、多くの人々が念仏を唱えれば救われる。それは、悪人だって救われるくらい効力があるのだから、善人なら当然に救われると解釈しているからだ。もっとも、この考えは理にかなってはいる。しかし、もちろん親鸞の真意は違う。善人は日ごろの善行をしているから、それに頼り一心不乱に念仏をしない。その点では、悪人のほうが善行などしていないだけに、集中して一心不乱に念仏に頼る。だからこそ、悪人が救われる。それほどの効力がある念仏なのだから、中途半端な善行に頼ろうとする善人も救われるという。本来、悪人こそ救われるのだ。

yjimage-5.jpgまた、パワハラをする人間は、往々にして自分の行為がパワハラだとは思っていない。そのために、いざパワハラで訴えられたりすると、コペルニクス転回の事態のほうを目の当たりにして驚愕するらしい。関西のほうの小学校で、若い教師にパワハラを超えたような凄まじい行為をしていた首謀者が、茫然としたようなコメントを出していたが、パワハラでありイジメだと認識しなかった自分の行為を糾弾されて、コペルニクス転回を否が応でも突き付けられたのだろう。これは、自分の秘書にパワハラ行為をしていた女性の政治家もそうだろう。

このように、コペルニクス転回をするのは写真用品でもある。ケンコー・トキナーが販売するレンズベビーのオムニクリエイティブフィルターは、なんと丸形だったり角形だったりというフィルターの概念を全く覆し、部分的にスティック状のものを使うという意表をついた発想の品である。これを使うことで、仕上がりも意表を突いたものだ。

まさに、ケンコートキナーのオムニクリエイティブフィルターはコペルニクス的転回を突き付ける特殊フィルターなのだ。

しかし、本当にコペルニクス転回というのはあるよなぁ。。酒場に行って酒を呑んだら、マッコリが意外にキクことがわかった。。

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ハクバの温湿度計はその単純な魅力が逆に人気の秘訣なのだ

 生物の進化の過程において、生き残った種と絶滅した種がある。では、その違いはどこにあるのか。よく言われるのが、頭が良かったわけでも力があったわけでもなく、環境に適応していった種族ということだ。

51+R+j+V7BL._AC_SY400_.jpgだが、果たしてそれだけが生き残ったのだろうか。そういう種は、いわゆる時代の最先端を追いかける人物のようなものだ。時代の潮流に合わせて生き残る。ポイント還元云々となれば、様々な支払い方を組み合わせて駆使して利益を得る。ポイント還元が終わったところで、次は次の手を考えてうまく立ち回る。ITが言われて、AIの時代になってもうまく身を処す。そういう生物は生き残れるだろう。

しかしながら、そんな人間ばかりではないのと同様に、そんな生物ばかりではない。だから、絶滅種が出てくる。といっても、そういう優秀な種族でもないが、生き乗る種がいる。その代表的な例がオポッサムという有袋類だ。いわゆる独自進化の動物が多かったオーストラリアに育った種だ。で、このオポッサムが、優秀でなくても生き残ったのは何故か。実は、徹底的に原始のままの形態のためだという。つまり、ある特定の環境に合わせて進化しないで原型をとどめていたために、逆に新たな環境でも対応できたのではないかというのだ。

こいつは、非常に面白い。ただし、オポッサムも全く変化させないことはない。形態は変えないが、住む場所は変える。気まぐれに、いろいろなところに行くのだ。本当に気まぐれにしか思えない動きで変えるのだ。要は、変化嫌いの面倒くさがり屋だが、気が向いたら住む場所を変える。こんな生き方で生き残ってきたのである。

道具で言えば、二層式洗濯機みたいなものか。二層式は、あまりにも単純な構造なので壊れない。最新型みたいにナイーブでないのだ。最新型を持っていても、いまだに雑巾など汚れがひどいものを洗う専用として昔使っていた二層式を活用している家があると聞く。需要はあるのかもしれない。また、刀で言えば胴田貫みたいなものか。あまりにも、荒々しく素朴過ぎて逆に生き残った例だ。

ところで、写真用品である。そういう意味では、ハクバ写真産業の温湿度計がいまだに売れているのがわかる。昔からある原始的な形態が逆に、見やすくわかりやすくいいのだろう。さらに、少しずつメモリ部分を色分けして見やすくしたりといった工夫は凝らしている。素朴だが、ちょっとした変化はしているのだ。温湿度計は、カメラの保管には欠かせないアイテムだし、その需要に立って変わらない形態が万人受けする。で、全く変わらないかというと若干の変化はさせている。最近では、保管ボックスの外側からでも見やすいように、吸盤もセットのものも出ているが、ともかく安定して売れているという。

まさに、ハクバの温湿度計はオポッサムが生き残り繁殖しているかのように着実に売れている、のだ。

しかし、本当にそうだよなぁ。ガラケーが一番使いやすいと、iPhoneと併用する者もつい最近まで多かった。単純なものは生き残るのだ。

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