浅沼商会の扱うタブレットホルダーのID‐200+は子供のゲーム用途としてもウケているのだ。

 今の状況下での人々の生きざまを見ると、やはり人間って強いもんだなぁと実感する。足りなければ、足りないなりに何かで補おうとする。

浅沼タブレットホルダー.jpg つまり、何かがうまくできないときは、その代替え的な手段が必ず登場する、いや生み出されるものなのだ。例えば、オンライン飲み会である。会うと濃厚接触になる。だが、人と呑みたい。そこで、代替え的手段としてうってつけというわけだ。家に居ろ、と英語で語る東京都知事の要望にも沿っているわけだ。ただし、その代替手段があくまで代替の立場から本物になるときもある。このオンライン飲み会もそうで。一度経験すると、面倒ではなく酒もすすみ、おまけに終電のことを考えなくてもいいから、かなり良いということになる。そうなると、ただでさえ、人との濃厚な関係を物理的にも精神的にも避けたいという土壌が創られていたところだ。これは、代替ということを超えて、通常の飲み会の形になるかもしれない。

これは、現象だけではなくモノでもそうだ。その典型的な例が、浅沼のタブレットホルダー「ID-200+」である。もともとは、あくまでタブレットホルダーである。だが、最近では一部の間では全く別の使われ方をしている。三脚と組み合わせれば子供に人気の任定堂の「Nintendo Switch」のためのホルダーになるのだ。この形で、うまく使えば2人以上でプレイする場合は、画面と距離を空けてプレーすることができる。さらに、目線もあがってみやすくなる。この特徴を評価したのが、むしろ親たちで。「こうすれば、目線もあがって見やすく、近視対策になる」と絶賛している。

タブレットホルダーがあくまで、ゲーム機用アクセサリーになる。実に面白い結果だ。
 
 浅沼商会のID-200+はタブレットホルダーとしての域を超え教育面での効果も発揮している、のだ。

しかし・・本当にそうだよなぁ。代替え品が時に本来の物以上のパワーを発揮してしまう。これは、たまにある。長屋の花見、という落語ではかまぼこの代わりに大根で立派に代用していたのだ。。

nice!(0)  コメント(0) 

ハクバのGWプロレッドは真の意味での本格派になりうるバッグだ

 理想と現実の問題は、常に付きまとっている。いくら、理想のライフスタイルを送りたいと思っても、現実はそうはいかない。今回のように、新型ウィルスの影響により、日常の生活を変えないといけない場面も出てくることもある。

これは、日常のライフスタイルだけではない。例えば、本人の目指すものに対してもそうだ。人は自らが望んだ姿にはなかなかなれない、と、この欄でもたびたび書いたことがある。現実は、まさにそれだ。みんなが金持ちを目指し実現の方向に向かったら、たしかに平均所得はあがるかもしれないが、その中で同じような格差が生まれる。平均額があがるだけだ。よく、地元の中学なり高校なりの優等生が、進学先で自分の凡人さを知るのも同じことだ。上には上がいるし、ある母集団に入れば目立たなくなる人も出てくる。

だが、それでもやはり、母集団でトップクラスになる輩は存在する。ただ、それが必ずしも能力の高さだけではなかったという面白い現象も指摘されている。

某社会学者の調査によると、徹底した実績を挙げる集団のメンバーを見ると。確かに、発生した初期の段階では能力的に優れている資質が、もっとも幅を利かせトップグループを形成する。だが、もともとが優秀なメンバーの集まりだ。そのうち、優秀云々だけではなく年月がたつほど。トップは別の資質の持ち主が占めていくという。

では、その資質とはなにか。結論を言うと『諦めない心だという』。書いたように、この集団に属せるくらいだから、だれも一定以上の能力は持っている。もっとも、やはり上には上がいる理論から、最初は能力でわかれる。だが、それも長くは続かない。たとえ、母集団で中以下でも諦めずに努力したタイプがじわじわとポジションをあげていき、最後は不動のトップとなるようだ。

gwプロレッド.jpgそう、この諦めない心、これは重要だ。有名なダンサーが語っているのを観たことがあるが。彼曰く。同じような境遇の別の者とも話し合ったことがあるという。我々が、まがりなりも業界で生き残っているのは何故だろうかと。才能があったからか。いや、全く違うと。自分らよりも上の能力の連中などわんさかいた。いろいろと考えていて、思い当たったという。「結局、やめずに続けてきたからだな」と。

また、今は有名になった小説家が、若い頃に人生の方向性に迷い、思い余って怪しげな占い師に、自分の亡父の意見が聞きたいと申し出たところ。その亡父の声を聞いたという占い師が伝えたという。「お父様は言っている。自分が少しだけ人より苦労しないでできるものを考えて、思い当たったらそれだけにしつこく邁進しなさい」と。彼は、文章を書くのだけはストレスなくできる作業だと思い当たり、ともかく芽が出るまで集中したという。もちろん、後年に名が売れた小説家になるくらいだから、彼の文才はあったのだろう。だが、実際に作家として食えるようになれたのは、ほとんど諦めない食らいつく精神があったからではないか。

ところで、写真用品である。ハクバのGWプロというブランドがある。安定して売れているバッグブランドである。ここの製品に新たなラインとしてレッドが加わった。こちらは、あくまで本格派のバッグだが、やや万人に受け入れやすいモデルとなっている。ハクバは、バッグで一定のラインを追求していくつもりだが、いろいろとパターンを変えつつもあきらめずに追求していくつもりのようだ。

まさに、ハクバのGWプロレッドは真の意味での本格派になりうるバッグの特徴を持つのだ しかし、本当にそうだようなぁ。。諦めないこと。かっこ悪くてもしがみつくことだよな。人間なんてかっこ悪い。それでいいのかもなぁ。。
nice!(0)  コメント(0) 

ケンコートキナーのスキャナーは家族の団欒を呼ぶのだ

 当たり前の日常というのは、実は非常に貴重なものだ。何かの拍子に、それが崩れた時に大切さがよくわかる。これは、だが、この当たり前をあたりまえにするというのは、行為でも同じだ。それが、なかなかできない。

kfs-14ws.jpg例えば、自分にとってしてほしくない行為というのは、だれにもあるだろう。これを、考えない人間が意外と多い。相手への想像力が著しく欠如しているタイプだ。実は、先日、郵便局の窓口で局員に対して、頭がおかしい、と言い放っていた人がいたが。どんな理由があるにせよ、人に言うセリフではないだろう。そもそも、自分が同じことを言われたら、どう思うかを考えられないのだ。知人の家の奥さんは、亭主に向かって『あなたに毎日温かいご飯を食べさせるメリットはないのにしてやっている』と澱に触れ言うそうだ。確かに、その亭主より高収入ではある。思うのは勝手だ。だが、それをたびたび言われたら、どう思うのか、とは考えられない。

このように、当たり前の行為をする人もいないケースもあるのだから。ましてや、冒頭書いたように当たり前の日常を実現するのは難しい。だいいち、その当たり前の生活のためには、経済すなわち一定のお金は必要だ。夏目漱石だって、理想である文学的生活を実現するためには、徹底した賃上げ交渉を行っている。どうあろうと、当たり前の日常にはお金が必要なこともよくわかる。

ところで写真用品である。当たり前の日常風景と言えば、わが国だと家族の団欒などがあるだろう。その団欒にも一役買えるのがケンコー・トキナーのスキャナーである。写真が趣味のお父さんが、ここでフィルムをスキャンしながら、テレビにつないで大画面で写した風景を家族に見せて笑顔の時間が取れそうだ。

まさに、ケンコー・トキナーのフィルムスキャナーは何気ない家族の団欒を呼ぶのだ。

しかし・・本当に当たり前の日常を維持するのは大変だよなぁ。このブログだって、毎週更新のはずが、こんな間隔になってしまっているのだ。。
nice!(0)  コメント(3) 

山櫻のメモバッグは逆境に打ち勝つような遊び心を呼び覚ますのだ

この欄で、前回にも書いたが。シニア層になると、心に余裕を持つ方向で、効率主義的な考え方は改めたほうが良いと書いた。これは、やはり重要なことだ。行動だって、無駄があっていい。というか、無駄なものを楽しめるだけで、かなり違うのだ。

山桜ブログ用.jpgこの余裕は、現在の逼迫した状況にも当てはめる。かなり苦しい中で、無理やりにでも無駄なものに触れるような心のスペースを持たないと、それこそ今後の長丁場の戦いにも持たなくなるような気がする。

この無駄だが、楽しめるものの定義だが。決して、あわよくば活用すれば効率化にもなる、などと考えてはいけない。もしくは、名誉欲を満たせるなどとは考える対象では難しい。それこそ、余裕のない直進主義が目を覚ますからだ。要は、遊び心を満たす商材で楽しめればいいのだ。

では、どういったものが遊び心を満たすかだ。そうみると、なかなか難しい。そもそも、写真用品というのは、撮影するために存在するのだから、基本は良い写真を撮るための効率的なアイテム、とも言いかえられてしまいそうだ。

では、何があるのか。そういう点では、写真用品ではないが。山櫻のメモバッグはどうだろうか。革のバッグのような形の紙製のケースにメモ書きを入れて渡す、あるいは置いておく。一見、なんのことはなさそうだが。意外に、職場などで取り入れて使うと、何とも言えない柔らかい空間が生まれそうだ。もちろん、だからどうした、と言われるかもしれない。メモなんざ、メモのまま渡していいだろうと。だが、やはり違うのだ。遊び心が重要なのだ。

まさに、山櫻のメモバッグで敢えて遊び心を呼び覚まそう、だ。

しかし、本当にそうだよなぁ。どこか、遊び心を持つ訓練をなるべく中年世代からやったほうがい。

nice!(0)  コメント(0)