エーディテクノの新型スイッチャーは絶望を希望に変える機材なのだ

 人間万事塞翁が馬という。マイナスが考え方次第でマイナスではなく、むしろプラスといったことだ。その元になっている中国の話もあるが、面倒なので書く気はない。

 もっと言えば、これは絶望を希望に変えられるというコツのようなものかもしれない。物事は、考え方次第で前向きになれるからだ。歴史に例を求めると、まだ発展途上の徳川家康のケースもある。彼が、武田信玄と戦った際に、敢えて負けるとわかり、しかも必須ではないのに戦を仕掛けたのだ。結果はもちろん、惨敗だ。本当かどうかわからないが、彼は恐怖のあまり馬上で糞をもらしたといいう話もある。ただし、不思議なのは彼が敢えて戦った理由だ。さしもの老獪な家康も、まだ若かったから、という考え方もあるが。それだけではないだろう。

一説によると、家康は無謀ともいえる戦を仕掛けることで、あの武田信玄にも逃げずに戦をしたという評価を得たかったということもあったようだ。ただ、黙って籠城でもしてれば、信玄も先を急ぐ。そのまま領内を通り過ぎた可能性が高い。だが、その際に世間の評判で、彼は臆病者のそしりを免れないだろう。そうなると、周辺国は見くびり攻めてこられるし、領内で一応従っている元豪族の連中も反乱を起こすかもしれない。だが、ここで死ぬ気で戦えば、若いのに勇猛というイメージはつく。退いても駄目だし、押してもいいが死ぬ確率は高い。どっちに行っても難しいなら、戦おうということだ。

結果、彼の名は東海道地区でまず広まり、徳川家康と言えば骨のある戦上手という評判が高くなった。まさに、絶望的状況を希望に変えたわけだ。

ところで、写真用品である。新型ウィルス感染拡大防止の影響というのは、用品メーカーにもかなり打撃を与えている。バッグなど外にいかないのだから、売れないという図式が説得力を持つ。そんなメーカーは、中止が続く展示会ではなくオンラインなどで、イチオシの商材を紹介しようと考えつつある。それは、企業だけではなくプロカメラマンも同様だ。対面ではなく、オンラインで自分をアピールするのだ。だが、こんな時にも改めて思ったのは、専門の機材がないということだ。今まで、他業界のことと思い見ていなかったが、扱いやすい放送機材が必要になってくるのだ。

PVS0613-1.jpgその点では、エーディテクノの新製品のスイッチャーが注目されつつあるようだ。小型軽量ながらSÐI入力4系統とHDMI入力2系統の6系統がある。カメラやプレイヤー、PCなど異なるフォーマットで入力する場合でも独自の機能により、出力フォーマットを統一することができる。HDMIアダプターを利用しiPhoneなどのスマートフォンを接続すれば、その画面もスムーズに活用できる。さらに2系統のRCAオーディオ入力端子とステレオミニジャック、2チャンネルまでの音声を合成するミキサー機能も搭載。これを活用することにより、リポートを行いながらバックミュージックなどの演出も一台で可能。ワイプ画面のような演出もできるようになっている。今回は、2機種発売されるがノートPCのような開閉設計で13.3型ディスプレイが標準搭載されているタイプもある。扱い方も簡単だし、値段もそんな高くはない。

まさに、エーディテクノが国内販売するスイッチャーは追い詰められた状況を覆すものなのだ

しかし、本当にそうだよなぁ。何があっても、結局はその失敗なりが悪いのではなく、良いイメージに変えるエネルギーを持つことが重要だからなぁ。こちらも、安酒呑むのは、後に安酒専門の放浪記でも書いて儲けられるという暗示かもしれない。  
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ハクバのeポッドセルフィ―は藤堂高虎公なみに空気を読んだ製品だ

 人が生きるうえでブレてしまうのは良いこととは言えない。たとえ、それが偽りの行き方であってもだ。中途半端に真実をさらけ出すと、とんでもない破綻を招いたりする。

hakubasab.jpg豊臣秀吉の失敗はそこだったと言われている。彼は、周知のように農民しかも小作農の出であり、まさに小者からたたき上げて、天下に関白宣言した。性格は、謙虚であり誰にでもヘリ下り、場の雰囲気を和ませるために、まさに猿真似もするなど練れた人物であった、、はずであった。だが、本来の彼はそんなことはない。誰よりも権勢欲も支配欲も強い。依怙贔屓も盲目的だし。おまけに、それらの点を傷つけるものがあると容赦しなかったし、刑には残酷であった。

だが、成り上がり者として、自分より遥かに出自や学問、武勇があるものを手なずけ、良い気分にさせて協力させるのに、どうしても天性を押し殺す必要がある。そのために、苦労した経験で得られた第二の性格や行動を自分に課して地位をつかんでいった。と、ここまではいい。それなら、それで徹底すべきであった。が、さしもの彼も上役的な人間がいなくなる状態になったら、その演技が続かなくなり本音が出た。自分に歯向かうものや邪魔なものには残虐な刑罰もするし、色事には見境がなくなる。挙句の果てには、肉親の可愛さがすすみ、死の際に子供の豊臣秀頼の行く末を頼む、と徳川家康に懇願しながら死去した。だが、秀頼などというのは、まだ幼子であり海の者とも山の者ともわからなかった。サポート体制も制服組と背広組の対立を残しており、案の定、老獪な家康の手管にのり、政権は崩壊した。

いくら認知症が進んだとはいえ、なぜ、自分の演技を保てなかったのか。いや、せめて年をとってきたら正常な判断が衰えるのだから、さっさと引退してしっかりとした後継者を薄い血縁でもいいから決めておけばよかったのだ。そのうえ、自分は一切口を出さない。本性を出してしまったのが、彼の晩年の失敗だったと思う。

これとは逆の例もある。徹底して貫いたパターンだ。三国志時代の劉備玄徳である。彼は、どちらかというと育ちの良い遊び人の頭みたいだが、正すべき時は正せるタイプではあり、そのルールは死ぬまで破らなかった。死の間際に諸葛亮孔明に対して「もし、子供の劉禅に、器がなければ、お前が国を治めてくれ。子供には、生活がたつようにしてくれるだけでいいから」と言い残している。これは、本音を語りつつも自己を徹底して貫いている。

日本でも、そういう人物はいる。秀吉の弟の秀長にも使えたことがある藤堂高虎だ。この高虎。先祖はきっちりとした家柄ではあるが、没落して足軽の身分から身を起こした。その後に、主君を何度も変えたり、流浪しているときに生活が苦しい時は、無銭飲食もしている。そうして身に着けた、徹底して相手に取り入るという姿勢は最後まで崩さなかった。人は気が変わる、ということを常に頭に叩き込んでいたのだろう。あの老獪で用心深い家康をも、律儀な人間と死ぬまで信じ込ませた。

手柄をあげて、伊勢の国を領していた晩年には、わざわざ家康のもとに出向き。自分が死んだあとは、不肖の倅が要衝である伊勢の国を治めるのは、徳川家にとってマイナスだ。国替えをしてほしいと頼んできた。家康は、逆にその律義さと忠誠心に感じ入り、そのままおさめることを厳命したうえに、新参者だった藤堂高虎を譜代待遇にした。最後まで、自分の演技を崩さずに貫いた。もっとも、死んだ後までは無理だ。幕末の戊辰戦争の際に、幕府方で最初に裏切ったのが藤堂藩だったという。有利なところに着くという習性はそのままだったか。。

ともかく、すべてに生き残るのは、このように状況を冷静に分析して、柔軟に対処するという能力ということだ。この冷静な対応力ということを忘れない事だろう。

そういう点では、ハクバ写真産業の姿勢は徹底している。時宜を読み、常にタイミングよく商材を送り出している。このほど発売したeポッドセルフィ―は、グリップとしても使えるミニ三脚とスマホを固定できるモバイルホルダーやアクションカメラ用のセットである。ヘッド部分は自由に傾けることができるので、細かい画角の調整も可能だ。まだまだ続きそうなテレワークや、第二波がきそうな自粛の際におうちフォトを楽しめるような気軽な用品となっている。

まさに、ハクバのeポッドセルフィ―は時世を藤堂高虎並みに読んだ製品、なのだ。

しかし・・藤堂高虎という人物は、調べれば調べるほど面白いよな。書いたように、足軽から成り上がり、無銭飲食も経験しているところなど話題にも富む。かなり、大河ドラマ向きの人物だと思うけどなぁ・・。再来年の北条義時よりも。。
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ビクセンのフォトガイダーセットは芯をしっかりとわきまえたビクセンらしい提案の品だ

 やはり、指揮官もしくは上層部全体の能力によって、組織の行き方が決まるというのは確実だと思う。

再来年の大河ドラマは北条義時を主人公にした鎌倉時代の話なのだが。その北条義時の人生最大のヤマ場のひとつは、承久の乱への対応だろう。この乱は、やたらと北条側の立場で描写されていることが多いが、こと後鳥羽上皇側で見ても面白いと思う。上皇方にも、それなりの考えもあったし、不満もあったろう。が、上皇軍の立場で書かれた小説なりテレビドラマは存在しない。場合によっては、上皇が勝利を収めたのかもしれないのにだ。といのも、いくら鎌倉幕府といえども、全国あまねく敬服しているわけではない。南や北の勢力をうまく糾合していけば可能性はなくはなかった。事実、この乱のしばらく後に、幕府は潜在的な不満分子らが後醍醐天皇の呼びかけに応じ、倒されているのだ。

しかし、結果として駄目だった。この要因はいくつもあるだろうが。要は、指揮官および周囲の執行役の面々の至らなさ以外何物でもない。では、どういう点が至らなかったというと、一言で言うと、決断力とそれを維持するだけの覚悟であろう。

その象徴的なのが、上皇側の大将軍の一人であった藤原秀澄の行動である。どうにも、彼は決断力にとぼしく、情けないことに怯懦であった。幅広く布陣しないと恐かったのであろう。美濃国と尾張川あたりに布陣し、自身は墨俣に陣を張るという形で幅広く陣を敷いた。この幅広い陣の敷き方は、もともと強いほうの勢力のやり方だ。少なくとも、既存勢力を打ち破る気のチャレンジャーの取るべき布陣ではない。

ビクセン.jpg一か八か、こういう時は勢力を集中させて、目標を一点に定めて敵の中心部を攻撃すべきだ。事実、上皇軍の中で、唯一といっていいくらいの歴戦の勇士である山田重忠という武将が、集中して尾張国府を攻め滅ぼすべきだと進言したのだが、本格的な戦やリスクに恐れをなした秀澄は採用せずに、挙句の果てには逃げ帰り、上皇には見捨てられてつかまり刑死した。まぁ、本人のことは自分の器の問題だから致し方ないだろう。もし、器に無いと思うなら、その下の弟みたいに戦に関わらなければ、命は永らえた。そのあたりは、自分の選択だ。だが、少なくとも、彼によって統率された山田重忠はじめとする兵士たちは、決断力と覚悟がないばかりに、むざむざ勝てる可能性があった戦で命を落とすことになった。

この決断と覚悟はどちらが欠けてもうまくいかない。例えば、小早川秀秋といえば、後世はかなりのヘタレで描かれているが、どういう経緯であれ、彼の関ヶ原での対処の仕方は間違っていなかったはずだ。決断は悪くなかったのだ。明治時代に入り、ドイツあたりの参謀が当時の布陣の図だけを見て、西軍の勝ちと判断した。その後に、小早川の寝返りの話を聞き、なるほどと納得したらしいが。甘いのだ。

天下分け目などと言われているが、大規模とはいえ局地的な戦なのだ関ヶ原は。仮に、西軍が勝ったとしよう。だが、せいぜい西国方面で勢力を敷けるだけだ。逆に、連合体ともいうべき勢力だったのだから、新たな政府での主導権争いがあり、結局崩れて内乱状態になっただろう。

その点では、用心深い家康のことだから、自分は逃げ帰るだろうし。仮に自分が死んだとしても、備えはきっちりと関東に残してある。大大名として徳川家は残ったろうし、そうなると改めて東を固めた徳川が台頭してくる。そのあたりが、連合体と一個の君主に率いられた軍団との差だ。

西軍にそのままいたところで、小早川もその後の内乱に巻き込まれて、改めて命を落としたかもしれない。いずれにしても、彼が家康についたという決断は正しかったのだ。少なくとも、大きな大名に取り立てられたのだから。では、何が悪かったのかというと、戦後に世間の悪評を気にしすぎて自暴自棄になった点だ。酒に身を持ち崩し、軽率な振る舞いが多く、譜代の家臣は次々と離反。挙句の果てに、一応病死となっているが、なんだかあやふやな理由で命を落とし名門の小早川家も断絶した。決断力はあったかもしれないが、その後、どんな形でもそれを維持する覚悟がなかった例だ。

この決断力と覚悟。これが将に将たる人物の必須条件だ。よく勘違いされるが、なにも自分の能力が優れていなくてもいいのだ。せいぜい、並み以上の業務能力があればいい。優れた人材をうまく使いこなせばいいだけだ。逆に、自分自身が優れすぎている場合は、自分の意志通りに人は動かないのだから。それだけで行きたいのなら、組織は敢えて小さいままにすべきだろう。一人の天才とそれを支えるスタッフという形式で行けばいいのだ。どちらかといえば、今売り出し中の企業であるカニフィルターのロカユニバーサルデザインなどが、業界ではこれに近い。

いずれにしても、こういう点から言えば、写真業界ではビクセンの在り方に注目している。もちろん、指揮者である経営者には、インタビューしたわけではない。が、何か企業の方向性をしっかりと打ち出している。星空を楽しみたくなる文化を創り出すことをモットーという芯を決してぶれさせない。芯がしっかりしているから、いろいろと手を出しているように見えて、やっている範囲は統一している。出す商品も、光学機器のほか雑貨系のものもあるが、それでも芯はしっかりとしている。決断と維持する覚悟があるメーカーだ。

で、そんな同社が直近で提案しているのが、星景写真を手軽に始められるツールセットであるAPフォトガイダー・望遠撮影キットである。セットものをトータルに手軽に提案しているが、やはり芯はしっかりと見据えている商材だ。

まさに、ビクセンは決断力と覚悟を持って星の世界を広めるためのメーカー、なのだ。 しかし・・本当にそうだよなぁ。ビクセンはぶれないと思う。ぶれない生き方は個人でももちろん重要だ。例えば、安い酒場ばかりで、ともかく酔えればいいという決断を貫くのも良いありかたなのだ。。

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VS‐543ASはベルボンらしい古武士の風格のある三脚だ

 NHKの朝ドラの番組内容の一部に苦情が来ているという。なに、たいしたものではない。現在、放送中の作曲家の古関裕而氏をモデルにしたドラマの内容だ。周知のように、古関氏は早稲田大学の応援歌である「碧空の空」を作曲したことで有名だが。そのエピソードの際に、ライバルの慶應大学の応援団の学生が登場。敵役っぽい、いかにも傲慢で気障なキャラクター造形に慶應出身者から文句が来たのだ。


VS-543AS.jpgこれは気持ちはわかるが、単なる演出なのだから頭にくることはないだろう。だが、問題はこういうふうに描かれている背景だ。そこに、日本人の人間への嗜好があるような気がするのだ。要は、熱血型や古武士型への贔屓である。一方、天才型やクールなタイプは、カッコいいとあこがれはされるが、今ひとつ贔屓にはされない。良くて、準主役だ。古いアニメでは、星飛雄馬と花形満。歴史上の人物だと源義経と源頼朝、これは判官贔屓の名前の由来だが。新田義貞と足利尊氏もそうだろう。さらにいえば、豊臣政権下での加藤清正、福島正則らと石田三成、長束正家。徳川時代には本多忠勝、榊原康政などの武闘派の熱血漢と本多正信といった裏方か。さらには、幕末から明治では西郷隆盛と大久保利通の関係がある。長州では、高杉晋作と桂小五郎か。そして、この早稲田と慶應だ。バンカラで熱血のイメージがある早稲田は政治家の大隈重信が創設。常に、抵抗する政治的なイメージがある。思想家が創り、一歩引いた立場から世の中を観ていた福沢諭吉。こういう図式になってしまうのだろうなぁ。

ところで、写真用品である。用品メーカーの中でも、そういった古武士的なイメージがあるのは個人的には、ベルボンである。失礼ながら、ちょっと不器用な感じだが。品質重視で優れた品を作る。開発に時間をかけ、その分しっかりした仕上がりを提供する。ちなみに、その典型的な商品だと最近思ったのが、VS-543ASだ。一言で説明すると、エレベーターの角度を自由に変更できる多機能4段三脚ということになる。地面スレスレのローアングルから187cmのハイポジション撮影まで可能である。ベルボンでは、もともとあったシリーズの最新機種ということになる。三脚や雲台の大型化といったユーザー意見を取り上げている。よりしっかりした製品というのを目指している品だ。

まさに、ベルボンのVS‐543ASは古武士的な風格のあるしっかりした製品、なのだ。 しかし・・本当にベルボンは良い風格の品をいつも作るよなぁ。。この欄でも書いたと思うが。ベルボンという会社が業界紙記者として取材したときに、雰囲気の良さというのを特に感じた会社だ。なにがいいかと具体的に問われたら困るが。ともかく、全体の雰囲気が良かったのだ。これも、古武士らしい折り目正しい空気感だろうか・。
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