山田屋台紙店の七五三台紙は純粋な祝いの気持ちが伝わる商材だ

 しかし、多くの報道がジャニーズ問題に割かれている。まぁ、大事なことだからだろうが。それにしても多い。

ただ、その中で最近注目したのが、ジャニーズ側の副社長の井ノ原氏に対する評価の変遷だ。当初は七五三台紙.jpg非常に好感度が高かった。が、様々なほかの暗い部分が次々と表に出ると、一転して発言は論点ずらしというふうにとらえられてきた。評価がガクッと下がったのだ。

これ自体は、個人的には悪意に捉えすぎのような気もするが。それはともかくとして、この論法を真剣にやって問題の焦点をはぐらかすことに成功したという動きには、ありがちの部分もある。以前に関係があった社でのことだが。そこでは、その手の行為を頻繁にする役職者がいたからだ。

独善的なタイプだったので、たまに骨のある部下から抗議を受けることがあった。その際に、使っていたのが論点ずらしの対応であった。その内容にかかわらずに『それはともかく、君のその言い方はなんなんだ』と責める。それでも、言い募る相手にも同様の反応を繰り返す。だいたい、相手は年上の上司ではある。それに強く抗議をするのだから、言い方もきつくなっている。それ自体を非礼だと咎められたら、とりあえずその点は認めて謝るしかない。だが、これがいけない。どんな点にしろ、一度謝ると、それ以上は切っ先が鈍る。論点ずらしは、攻撃とともに最大の防御になったのだ。

なにか、そういうテクニックを使って乗り切り、攻撃するのは見ていて嫌な気分にはなるが、効果的だとは思う。しかし、こういうやり方はズルいことはズルい。個人的には好きになれない。

そういう点では、シンプルな正直な商品を見るとほほえましくなる。例えば、山田屋台紙店の台紙である。七五三台紙などは、全く目的がはっきりしており、全力で子供を祝いたいという気持ちを感じる。鳥居のマークもシンプルでいい。

まさに、山田屋台紙店の七五三台紙は純粋な気持ちが好ましい商品、なのだ。

しかし、本当にそうだよなぁ。。ちなみに、その役職者は同じような言葉のマジックを用いた動きでリストラを断行したところ、その目的は達成したのだが。やはり、骨のある部下の一人が労働基準監督署に駆け込んで、法外な和解金を要求されることになり、その責任を負わされて降格された。世の中、いろいろだなぁ。。
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マルミ光機の新フィルターは全ての物事の本質を感じさせるような商品だ

 最近、日蓮宗の僧侶と話す機会があった。その際に、心に引っかかった話がある。何を拝むのか、という話だ。

彼によると、本来、釈迦牟尼仏も日蓮上人もすべてが、亡くなるときに『自分を拝め』とは言ってないという。あくまで、定めた戒律すなわち法を尊び道を究めていけ、と弟子たちに言っているのである。だが、今の我々はどうしても釈迦そのもの、あるいは日蓮上人そのものも像を作り拝んでいると。

これは、なかなか興味深いことだ。そう、もしかしたら日本固有の在り方かもしれない。戒律などのマルミ.jpg目に見えないものよりも、目に見える存在そのものを大きくみてしまうのだ。

と、そこから考えたのだが。考えてみれば、そうである。我々は、例えば歴史上の人物を見る際にも、その人間の成し遂げたことだけではなく、人物そのものを見る傾向にある。もっといえば、成し遂げた事実よりも人物が独り歩きしてしまい、尊敬の対象になったりする。例えば、活躍があやふやな人物などだ。具体的には、大岡越前などは実際に捌いた名裁判例は、言われている中でもごくわずかだ。多くは、他の者が手掛けたり、あるいは古代中国での裁判例を持ち出していたりする。だが、あくまでも大岡越前なのである。これは、裁判例というよりも民衆の文化保護姿勢を打ち出した遠山金四郎さんもそうだ。いつの間にか、白州で刺青を見せる名裁判官になっている。

ちなみに、ちょっと横道に逸れるが、成し遂げたことが素晴らしくても、人物に親しみが無いために損した例も多い。幕末の桂小五郎こと木戸孝允などは典型で、あまりにも怜悧過ぎて、なんか地元の長州でさえ人気がないという。

いずれにしても、本来は人物よりも戒律を守るという姿勢は本道かもしれない。そういう意味では、マルミ光機が発売したプライムプラズマスパッタリングC-PLは、まさに性能重視だ。超低反射率0.18%を実現。ほぼ完璧なカラーバランスの仕上がりを撮影した作品に提供している。あくまで、製品そのものであり、他の要素は強くは推していない。

まさに、マルミ光機のプライムプラズマスパッタリングC-PLは戒律のみを重視した宗教の原点を思わせるようなフィルターなのだ

しかし、本当にそうだよなぁ。あくまで人は主観だけではなく、律という客観でのみ判断されるべきだ。安酒でブランドなどなくても、自分が美味しいという名目のルールがあれば、人は楽しむべきだろう。
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ケンコー・トキナーのアナモフレアは映画スターの見る風景を気軽に実現できるフィルターだ

 昔のスターと今のスターは明らかに違う。あっ、スターといっても文字通りの星のことではない。俳優、タレント含む人々のことである。

今のスターは大変だと思う。食事制限をして身体を絞り、少しでも老けないように種々の手を加えアナモフレア.jpgる。結果、この年齢なのに若さを保ち驚異の目でさらされるのだ。だが、そうやって努力しても様々なファン層は身近にいて常に、触って話せるアイドルを要求される。なんと気苦労が多いことか。その点では、昔の俳優などのスターは自然体で行っていた。ダイエットなど関係なく、しわや白髪もそのままだ。ただ、スターの風格だけは維持していた。つまり、あくまでテレビや映画でだけの人物であった。触れるどころか、スターの名の通りに遠くから光を眺めているだけの存在だったのである。

それはそれで威儀があり、いい。だが、やはり今は身近な星として常に触れられるというスターが受けることに違いはない。そのあたりは、今後も変わらないのだろう。

ところで、写真用品である。ケンコー・トキナーからアナモフレアというフィルターが発売されている。要は、アナモルフィックレンズで撮影したような効果を手持ちのカメラで得るためのフィルターである。アナモルフィックレンズは素晴らしいが、映画撮影用だけに非常に効果だ。その効果に近い感じのものを18,000円程度で得ることができる。

まさに、ケンコー・トキナーのアナモフレアは映画のスターの視点を身近に感じられるフィルターなのだ。
しかし、本当にそうだよなぁ。なんでも、身近なほうがいい。親近感は大事だ。ただ、実はその身近なスターらも、かなりの努力をしている。スターの光は表面で、実は影も大きいのだ。
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ケンコー・トキナーのメビウス接続キットは強いアニメのロボットのような凄味がある

 一応、子供の頃というのがあった。その際に、ロボットアニメみたいなものを見ていたのだが。妙に印象に残った部分があった。

確か、敵方の悪のほうのロボットである。正義のヒーローロボットがあまりにも強いから、首領は2mobius_connectionkit.jpg人の幹部の推奨する怪獣ロボットらを戦わせて、勝ったほうに正義ヒーローに挑戦させていた。より強いほうをである。だが、これでも勝てないこともわかった。そこで、その首領は、2つの戦闘ロボを戦う前に怪しげな光線を出して合体させて強力なものに仕上げてから、正義のロボットに立ち向かわせた。すると、さしもの無敵の正義ロボットもかなりピンチに陥ることしばしばであったのだ。まぁ、最終的には正義が勝つんだけどね。

いずれにしても、この合体という概念には子供心にも感心した。良いところを合わせれば無敵になるからだ。が、これはさらに考察を重ねると、ある種の開き直りのような展開だ。どうせ、戦うなら合体させるに越したことはないだろう、とかいう。恥も外聞もない。ともかく、勝つためには手段やスタイルやプライドなど、どうでもいい。事実、出来上がった悪のロボットたちは、無類の強さだったものの非常に不格好なものであった。

だが、どうだろうか。これこそが、人が生きていくうえで神髄とでもいうべきものではないか。開き直り、カッコなんかどうでもよく、ともかく戦いをしていくのである。崇高な使命などどうでもいい。ともかく、挑んでいく。まったくスマートではない。が、こういう在り方は結構、好ましい。

生きていく、というだけのパワーを感じるのだ。

ところで、写真用品である。ケンコー・トキナーが同社のメビウスブランドの商品として、天体望遠鏡の鏡筒とカメラを接続するためのキットを発売した。望遠鏡とカメラ。ともかく、星を観るなら望遠鏡なのだから、それとカメラをうまく組み合わせれば抜群の星の写真が撮影できるかもしれない。なにか、この組み合わせには妙な強みを感じるのである。

まさに、ケンコー・トキナーのメビウス接続キットは、開き直った戦闘ロボのような強さがあるパーツ、なのだ。
しかし、本当にそうだよなぁ。開き直った奴が強いと思う。そもそも、背水の陣というのは、背後に川があり逃げ場がない中で追い詰められた軍勢が驚異的な強さを見せたことに由来する。この背水の陣効果が強さとなって現れるから、人は開き直るとつよくなるのか。。
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ハクバ写真産業のGW-PROは甲子園優勝校を想起せせる正統派バッグだ

 世の中、明らかに変わってきている。高校野球を観ていて改めて思った。

周知のように、慶應高校が優勝した。神奈川県民に言わせると、もともと地元では野球の強豪として知られており、県大会レベルではそこそこ強かったらしい。だが、こちらは県民ではない。しかも、慶應といえば、スポーツマンは多そうだが、熱球少年というイメージはなかったからだ。

だが、優勝した。エンジョイベースボールを掲げ、選手個人の自主性を重んじて、監督を、さん、付ハクバ新バッグ.jpgけで呼ぶ。さらに言えば、頭がサラサラヘアーというのも良かった。ちなみに、同校の場合は野球だけでは、入学を認めないらしい。ある程度の成績が必要だし、あとは幼稚舎からあがるか、一般入試であがるか。それらの選手が混同し在籍している。このうち、一般入試で入った選手は、小学校時代に受験期間に入ると、一日10時間近く勉強をしたらしい。入学後も野球だけやってれば、いいというものではないらしい。同校の基準の成績を満たせないと容赦なく落第させる。米国の大学並みだ。

要は、頭脳明晰でスポーツ能力に優れ、また精神的にもバランスの取れた生徒らということだ。

実は、こちらみたいな昭和世代は、甲子園に出る生徒らといったら、いわゆる熱血の坊主頭の野球一筋のイメージがあった。が、こういうスタイルだから勝てるという概念は崩れ去ったのである。考えてみれば、通常で考えると高校野球といえども健全なる高校生のスポーツの一環なのだから、ある意味正統派の正しいラインなのである。勉強にスポーツに過不足なく頑張り、性格は穏やかに爽やか、これは理想的な高校生なのかもしれない。

こういう正統派というのは、いままで実はどこか敬遠されていた。これは、高校野球に限らずである。全て、専門的な方向の人間、多少は偏りがあってもよかった。だが、考えてみても、正統派が本流というのは当たり前なのである。

司法試験というのがある。以前ほどではないにしても、メジャーで最難関な試験である。これを受けるために、働きながら苦節何年あるいは十年以上など、昔から言われている。だが、である。その働いている時間を金で買って、勉強に集中したほうが受かりやすいに決まっている。もちろん、親の資産があればこそ、できそうだ。奨学金という方法があるが、後で必ず返済が迫ってくるし、精神的には不安定な部分が出てくる。

つまり、正統派の部分が正当に結果を出す。こういう流れも改めて認識されたということだろう。変化の時代と言われているが、正統なものも普通に脚光を浴びるという当たり前の時代でもあるのだ。

ところで、写真用品である。ハクバ写真産業は、このほどGW-PROという同社オリジナルの定番ブランドの本格派ラインを発売した。しばらく、多くの社がカメラバッグの本格派への開発については様子を見ていた時であった。これは、評価された。正統派の商材を久しぶりに市場に提案したのである。

まさに、ハクバのGW-PRO新製品は甲子園優勝校の勢いを彷彿とさせるバッグ、なのだ。

しかし、、そんな正統派の時代に、こちらのような非正統派はどうしたらいいのだろうか。ちょっと、考えてみたら、もともとメジャーな人生ではないのだ。その、ひっそりとした部分では変わらずにテキトーにやってもいいのではないか。改めて安酒でも呑むか。
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マルミ光機のキヨシタツノリミテッドエディションは限界を超越した製品だ

 物事には限界がないのではないか、と思うことがある。特に、人間の能力というかそういうものだ。もっとも、それでも事実上は能力の限界というのは存在する。だが、それは思い込みかもしれない。

思い込みというのは、限界など物理的に突破できる、などとは思わない。人の能力は、かなりの知マルミ新フィル.jpg力、体力を秘めており、いざとなったら発揮することがある。いわゆる火事場のバカ力とかで言われる。だが、そんなものは普段から出せないのだろう。無理に出していたら、多くの人間は脳も体も消耗しきってしまう。つまり、大いなるパワーは、日頃は本人の平穏を保つために封印されているのである。

こういうことではなく、意識の問題の話である。プロ野球選手にたとえよう。ここに、コンスタントに2割6分くらいは打てるバッターがいたとする。守備も、格別うまくはないがミスはしない。そういう、地味な選手はファン層からは全く人気がないだろう。なので、チームが勝っているうちはともかく、負けが込むと、その地味さを指摘され批判されることもある。だが、こういう成績だったら、球団側はクビにはできない。

では、この時点で何が起こっているのかというと。ファン目線の高い期待ポイントと、球団側の現実的な現役維持許可ポイントが乖離しているということだ。この場合、移り気なファンのポイントよりも、現実的な球団経営側のポイントを優先したほうがいいに決まっている。そうなると、ある意味この選手はファンすなわち世間の揶揄には耳を傾けない、ただ客観的ポイントだけをクリアすることを考える。まさに、己を灯として己を拠り所とせよ、の精神になれる。これは、ある意味無敵な境地なのではないか。

ある一定の客観的基準クリアを目標として、外野からの話は黙殺する。こういう目標で開発される商品は、まさに逸品が多い。

そういう意味では、マルミ光機の新製品であるC-PLのキヨシタツノリミテッドバージョンは、世間の目のポイントなどを無視して、自己の追求のためだけに開発された製品といえそうだ。プラズマ・スパッタリングを採用して、超低反射、カラーバランス、機能性に最高なパフォーマンスを持たせている。開発に突っ走った製品である。

まさに、マルミのC-PLフィルターの新製品は、世間の目よりも自身の目標を掘り下げたプロのメーカーらしい製品、なのだ。

しかし、本当にそうだよなぁ。お釈迦様だって、天上天下唯我独尊と言っているじゃないか。そういう視点をもっていれば、集中力も増すし信じられないレベルのものを創れたりするものだ。
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山田屋写真用品の革製カメラケースは等身大の歴史上の人物を感じさせる雰囲気がある

 少し更新が遅れてしまった。なかなか、文章を書き始めるというのは辛いものがある。いや、書き始めたら一気にいくのだが、それに入るまでが大変だ。無駄に、動画を観たり本を読んだりしてしまう。なにか、集中することへの恐怖みたいなものもある。

なので、この書くということを商売にしている小説家という人々には頭が下がる。こちらみたいに、4560440974942.jpg取材したことを書けばいい、というものではない。そこには、自分の頭でひねり出すというクリェイティブさが必要となるからだ。そんなものに全神経を注ぎ込める人種と言うのにはおそれを抱く。

ただし、だ。小説はたまに読むが、一部の小説家の独特の思い込みというか、そういう姿勢には否定的な感じを抱くことはある。特に、歴史小説家である。あくまで、フィクションであり小説だと考えて、歴史を解釈するならいい。だが、時として、それが本当のことだと言い切る場合がある。例えば、徳川家康の正室である築山殿に関する事件に関して書かれていたものだ。なにか、築山殿自身が現代にあてはまりそうな感覚を持っていたりするように描写されている。だが、それはどうも実際ではない。

彼女は裏切りを企んで、いや、最近の定説では家臣たちの分裂の一方の旗頭に担ぎ上げられて、それに対応した結果、家康に処断されたと考えるのがつじつまが合う気がしている。それなのに、ある小説では家康への恨みを語って、子である信康を処断しようとしている家康への恨みの言葉を残していた。だが、そういう感情は当時の女性は持ったのだろうか。それよりも、唯一、記録で残っている言われる築山殿の最期のセリフとして、無理に介錯をしようとした家臣に対して「女とは言え、私はそなたらの主だ。こんな仕打ちは許しませんよ」と語っていたそうだ。気位の高い部分も彼女らしい。

もちろん、小説の世界なのだから、これはこれでいい。だが、作家が自分が造形した歴史的なものを真実だと思い込んでしまう。なにか、その強烈な思い込みが好きになれないのだ。いろいろと言われているが、その点では司馬遼太郎さんはさすがに凄いと思う。坂本龍馬を書いた際に、竜馬と書いて、別人格として表現している。自分の造形した人物を少し距離を置いて見ているのだ。読者の人々が、それを実際に存在していた坂本龍馬と混同するのは、それは勝手なことだ。

もちろん、坂本龍馬は竜馬のような人物ではない部分もある。だが、小説と共通する部分もある。つまり、実際の人物像は歴史的に存在した坂本龍馬と小説のヒーローである竜馬との間くらいにあるのではないか。ここをどちらでとらえるかが、歴史家だったり小説家だったりの違いがあるが。真実は、その中間にあるのではないかと思う。築山殿についてもそうだろう。気が強いが実はストレートなまっすぐな女性と、プライドの高い名門意識の強いタイプ、その中間くらいなのが真実に近いのではないだろうか。だが、どちらかに振れないと物語にはならない。そこで、つくられていくのだが。すくなくとも、その姿を距離を置いて楽しく見るのではなく、真実だと思い込むのはおかしいのではないかという気がする。まぁ、歴史家でもないし小説家でもない、ただの凡人の感想だが。

ところで写真用品である。以前にも取り上げたが。山田屋写真用品から、カメラ用ケースの革バージョンが発売された。この商材を見てつくづく思ったのだが。ここの発売する商材は、一見、平凡ながら実は特徴的で光るものがある。他にも、フィルムケースがあるが、これも高級な雰囲気の革製品にするなど、どこか平凡なテーマながら輝きを持たせているのである。そこが強みである。前述したような史実でも小説でもない、現実の歴史上の人物らしき、血の通ったものが感じられる。

まさに、山田屋写真用品のカメラ用革ケースはリアルな歴史上のヒーローを感じさせるのだ。

しかし、本当にそうだよなぁ。どうも、近年、徳川家康の新たな資料発掘で人物像が塗り替えられているが、実際は狸親父のごとき策謀家でもなければ、平和な世の中を創ろうと奮闘した英雄でもないし、優等生型の真面目でコツコツと同じ失敗をせずに、先例を頭に叩き込みながら世の中を渡った努力型の人間ではないか、という気もする。


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ハクバの液晶保護フィルムは渋い中継ぎの投手のような雰囲気がある

 大谷翔平選手の活躍もあり、MLBの試合を観る機会が増えた。非常に迫力があり面白い。

 それを見ていて、ふと思ったのは、やはり人には役割があるということだ。まず、守備位置の問題ハクバEX_GUARD保護フィルム.jpgがある。投手も捕手も内野手も外野手もいる。それぞれが役割を果たすことで、試合は成り立つ。だが、さらに目が行ったのは、同じ投手内での役割である。大谷選手のような先発のヒーローもいれば、中継ぎも、豪腕のストッパーもいる。

その中で、特に気になったのは、中継ぎである。先発が6回か7回まで投げて、そのあとのクローザーにつなぐまで登場する投手である。この役割は意外に難しい。相手は、クローザーが登場する前になんとか、点数をとろうとしてくるのだ。しかも、結構、ピンチのときに交代のこともある。それらの勢いをなんとかかわしながら、無得点に抑える。で、報われるかと思うと、実はそうでもない。今でこそ、ホールドポイントなどがついて評価されるシステムもあるが、それでも目立ちはしない。逆に、打たれると轟轟たる非難の的になる。先発ヒーローが作った試合を壊したとか。試合に勝っても、クローザーが評価されたりする。でも、彼らは必要不可欠な存在なのだ。

人生でもこういう役割をする人間がいる。学生時代にある友人は、傍目から見てもモテており、正直うらやましかった。だが、まぁそれも彼の人徳と思うしかなかったのだが。あとで聞いたら、本人はそれほど楽しくなかったそうだ。というのも、優しすぎる彼は、だいたい弱った状態の異性が寄ってきて仲良くなるという。だが、しばらくしたらその女性は励まされ立ち直る。そうすると、かなり、その女性自身の好みの相手を見つけて離れていくという。結構、そういうパターンが多かったようだ。彼曰く、中継ぎ投手のような役割と語っていた。まぁ、こちらみたいにそもそも登板機会がないような人間よりはマシだと思うが。それなりに思うところはあったんだろうなぁと考えた。

ところで、写真用品である。ハクバ写真産業から液晶保護フィルムの高級バージョンが発売された。この分野は競合が多いが、ハクバは品質で勝負してきているようだ。確かに、一定の成果はあげられそうである。ちなみに、この液晶保護フィルムという分野は写真用品の中でも非常に地味である。が、これがなかなか必要な存在だし、販売店からすると意外に売りやすいという効力はある。安いし必要だから、カメラのボディやレンズの新製品を買う人にはついでに勧めやすいからだ。ある意味、中継ぎ投手的な存在かもしれない。

まさに、ハクバの液晶保護フィルムは中継ぎの渋い名投手のような雰囲気がある、のだ。

しかし、中継ぎ投手と言えば、MLBで活躍したののでは岡嶋投手を思い出す。というか、中継ぎの存在の重要性を改めて喚起したのではないかとさえ、個人的には思う。今は、藤浪晋太郎投手が務めているが、先発に戻るためのステップなどとしないで、なんならこちらのほうの名手になってほしいとも思っている。球の速さや威力を見ると、そう思うのだが・・。
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ケンコートキナーのATOLLはアングル固定を防ぎ視野を広く持てるアクセサリーだ

 いろいろな観点で物事を観ることは重要なのだろう。通り一遍ではなく、見方を変えつつ、発想を変えていく。これにより、やはり自由に生きられると思う。

世の中は、意外とマイナス情報が溢れていたりする。例えば、老後はこのくらいの資金がないと生きATOLL.jpgられない、とか。逆に言えば、それだけ貯蓄できる自信が無い場合は、もう絶望的な気分になる。だが、そういう理想的に貯蓄できる人間はどのくらいの割合居るのだろうか。そうはいっても、意外に多くの人間が普通に生き延びれたりしている。もちろん、そうではないというケースも多いのはわかる。だが、一般に言われているようなことに固執すると、単なる絶望的な気分になるだけで生きたくもなくなるだろう。その良い例が終身雇用の崩壊である。古き良き昭和では、人はサラリーマンになればひとつの会社で全うして生きていけると考えていた。が、そんなことは崩れた。その時、影響を受けたのは当のサラリーマンたちで、その際にもともとそういう概念に固執していなかったフリーランスの人々はきっちりと生き延びている。

要は固執がまずいと思う。また、今のサラリーマンの生き方だって、柔軟にやるとつよい。例えば、最近は副業が解禁されている会社も多いのだから。一部の人間にとっては、意識の中では会社勤務のほうが副業で週末の起業のほうが本業と思っている人もいるようだ。こういう人は強い。ちなみに、その先駈けとしては、かのカフカだろうか。彼は、生涯、半官半民みたいな協会の書記としてソツなく業務をこなして、小説を書いた。文学史上、功績を残している彼だが、その姿勢を見ると、夜や休日にやる小説執筆のほうが、本業という存在だったのではないか、と思われる節がある。ともかく、視点を固定しないことだ。それによって、閉塞した場合でも道が開けるだろう。大谷翔平さんだって、投打二刀流という常識を打ち破るやり方で実績を挙げているのだ。

ところで、写真用品である。ケンコー・トキナーからレンズアングルアダプターの「ATOLL」が発売である。縦位置、横位置のアングルをクイックチェンジできるが、しかもレンズの中心がズレない。最大360°好きな角度で固定でき、そのままレンズ交換が可能だ。

まさに、ケンコー・トキナーのATOLLはカフカの視点のようにモノに固執させないアクセサリー、なのだ。

しかし、本当にそうだよなぁ。ともかく、固定はしない。固執しないことは大事だよなぁ。大谷翔平さんも宮本武蔵も、その視点で大成したのだから。。
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KANIフィルターのセット商品は独立して実績を挙げる企業の姿勢を象徴している

 いろいろと公私ともに周囲が騒がしい。出直しの季節なのだろうか。ここのところ、勤めていた会社を退職して新たな人生に歩みだすという話を複数から聞いた。まぁ、偶然重なっただけなのだろうが。

そのうち、その中で転職ではなく独立するという人々の割合が結構高いことに気がついた。なるほHandySet-100mm_02.jpgど、もう宮仕えではなく、自分の才覚だけで生きていこうというのだろう。それ自体は、非常に素晴らしい。ただし、だ。起業するなら、当然ながらカッコいいことばかりは言ってられないと思う。というのも、人は起業するというときに、当たり前だが理想を胸に動くのである。だが、現実にビジネスをスタートさせてみると、大概はそんな簡単なものではないことに気がつく。

よくあるパターンは理想としていたビジネススタイルが現実不可能と思い知らされて、別の不本意なスタイルで乗り切るという動きである。それは受け入れなければいけない。多くの起業して成功した公私の知り合いを見て分かったのだ。

では、具体的にどうするか。理想は理想でいいが。それ以外のものも平然と手を出すのだ。自分の目標を見逃さない程度に、他の売れそうな商材や、うけそうな分野も手掛けてみる。そう。理想を失わないように、だが現実を忘れないように動くという当たり前の姿勢が必要なのだろうな。

例としてあげてみると、行政書士という職業がある。これは、非常に幅広い業務を扱える。だが、逆に考えると他の隣接職種である司法書士やら社会保険労務士と違って専門分野を絞りにくい。だが、もともとは法律職である。そこで、これを受ける大概の人間が、法律家を目指す。つまり、法律知識を使って人を助けたいとか、社会に貢献したいとかだ。だが、実際に取得して、理想を貫こうとしても、うまくいかない。そこで、生き残る資格者は様々な汎用性のある業務のほうに手を出す。許認可など様々な分野だ。そうして、成功する人は意外に多い。ライターとして独立した人間が、生涯をかけたテーマを掘り下げて書きたいという姿勢を持ちつつも、とりあえず依頼されたPR系の記事を書いたしながら努力する。

これは、明確な起業でもそうだろう。その例は、この欄でも折に触れ取り上げてきたが。改めて、業界内で書くと、KANIフィルターを擁するロカユニバーサルデザインの幅の広い商材へのアプローチ、山田屋写真用品の台紙だけではない展開などがある。

ちなみに、そのロカユニバーサルデザインのセットものの展開は、様々な組み合わせで単体の商材だけではなくアピールしていく。単眼ではない、複眼思考の提案なのである。こんな個々の商材にも、同社が生き残り実績を挙げてきた複眼思考を見て取ることができるのだ。

まさに、KANIフィルターのセット商材は生き残る起業家の強さを象徴している、のだ。

しかし、本当にそうだよなぁ。世の中、理想通りに事はすまない。ただ、理想を忘れてはいけない。そのあたりのバランスをとれる存在だけが、独立して生き残れるのかもしれない。。
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