シグマの56mmf1.4は歴史上の英雄のような信念を持つのだ

 歴史は昔から好きだったが。年を重ねるにつれて、冷めた視点で見るようになったのは確かだ。

これは、歴史上の人物たちが自分と同じ、凡人としての要素も持っているとわかりはじめたからだ。よく司馬先生はじめ歴史作家が描写するような大義や信念ありきの人間など存在しない。まずは、凡人同様に欲望ありきだ。戦国の覇者たちも平和な世を築こうなどと大層なこと思っていない。領土を広げて物欲と征服欲を満たしたいからだろう。で、うまく統治するにはどうしたらいいか。過酷に民から絞り取るだけではなく、少しはメリットを与えたほうが合理的だ。作物を作る意欲も湧く。結果として仁政を施した名君が登場、という側面がある。

pphoto_56_14_c018_02.jpgこの事は、幕末でも同様だ。維新の英雄も幕府のサムライも行動の大元は立身出世欲、名誉欲、支配欲、と欲望が大半だ。少数の頭の良い人たちが理念を作り上げて、その欲望の理由付けをした。それが証拠に、薩摩藩の殿様の島津久光など、維新後にかつての部下を呼びつけて、いつ自分を将軍にするんだ、と怒りをぶちまけたという。それが正直な反応だ。

このように、欲望を原動力に動いているという我々と変わらない歴史上の人物の行動原理がわかるにつれ、醒めては来たが、それでも歴史は好きだ。というのも、活躍する人物が、やはり凡人とは違う一点があるからだ。それはズバリ、どんな形にしろ、最後の1点は死守するからだ。これは凡人には難しい。例えば、高杉晋作などという人物は、異常性のあるボンボンといった感じで。友達にしたくないタイプだが。一点、自分の嫌な奴には絶対屈しないという姿勢は貫いた。藩の中の当時は主流派の俗論派に一人で立ち上がった。多分、この異常人のことだから、単騎でも突っ込んだろう。また、戦国の松永久秀は生き延びることを重視した策士だが。嫌いな信長には、最後はしたがわなかった。

どんなに無謀と思われてもいい。損しても馬鹿にされても、各々には絶対に守るべきギリギリの1点があるはずだ。カッコ悪くても、そこは大事にする。それが凡人との差かもしれない。。

ところで、写真用品である。というか、今回は珍しくレンズにする。シグマが22日に発売するコンテンポラリーラインの56mmf1.4である。一見、マイクロフォーサーズもカバーする小型レンズだが、動画撮影でも快適なAFを実現した奥が深い中望遠レンズだ。どこか違うのだ。

まさに、シグマの56mmf1.4DCNは歴史上の英雄のように一点違うのだ。

しかし、本当にそうだよな。馬鹿にされようが職を失おうが、自分の核の一点は守るべきだ。カッコつけたカクテルなど飲まんぞ[exclamation]


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