ケンコー・トキナーのサンクチュアリISリュックは世界大会でも勝てるようなコンセプトだ

 WBCが感動とともに終了したが。様々な名言が生まれた。そのうち、注目を集めていたのが。大谷翔平選手の決勝戦前のロッカールームでの声出しの場面だ。あまりにも有名になったので、繰り返さないが。要は、『これから憧れのスター選手と同じグラウンドで試合するが、彼らを憧れの対象という見方で維持していたら追い越して勝つことはできない。今日一日だけは、憧れの気持ちを捨てよう』という呼びかけだ。

この言葉は、非常に奥深い。ある意味、視点をずらしてみるということだろう。ある対象と接した際サンクチュアリバッグ.jpgに、その対象が何らかの形で強者であった場合、人は必要以上に大きな対象に見える。だが、少し視点をずらすと、意外にそうでもない対象として見えることがある。そうすることで、人はリラックスして普段通りのチカラを全力で出し切ることができるということだろう。

卑近な例で挙げよう。そろそろ入学式の季節だが、その前提となる入学試験の際に、必要以上に対象の学校の試験を強大なものに見て、冷静に対応できない場合もある。だが、これが何校か受験していて、他に行ってもいい学校に合格していたという場合はどうだろうか。意外に冷静な態度で、リラックスして受験できないだろうか。知り合いの一人は、既に早い時期に現実的な本命の学校に合格していたこともあり、高望みかなと言われた学校の試験では、一か八かで受験科目の選択を変更。それにリラックスして取り組んだという効果もあり、見事合格した。

マイナスの事例の場合も同様だ。世間では、パワハラという言葉があるが。その加害者の立場の人間は文字通りにパワーをもってハラスメントをしてくるのだ。その場合、被害者側は当然ながら立場が弱く、往々にして恐怖感を抱いたりする。だが、そこで視点をずらしたらどうだろうか。その権力側の人間でも、その権力組織から抜け出るという決心をした後で、改めて存在を見てみたらどうだろうか。世間でいうところの腹をくくるというやつか。その感覚で相手を見ると、実は単なるショボイ人間に見えたりする。ほとんど恐怖も抱かずに、自己主張をすることはできないだろうか。

この視点をずらしてみる、という心理的な動きは様々な場面で有効だと思う。

ところで、写真用品である。ケンコー・トキナーのカメラバッグ。アオスタブランドのひとつにサンクチュアリというシリーズがある。このうちのISリュックというのは、実はカメラバッグ用途以外でも、耐荷重100kg程度の椅子としても活用できるのだ。まぁ、これで寛いでリラックスということはないが、それでも椅子として十分に機能する。ということは、競争激しいカメラバッグマーケットの中で、椅子としての切り口で独自性を保つ。視点をずらした形で見えられ存在できる商材なのである。もちろん、アウトドアの椅子という中でも視点がずらされて存在することもできるのだ。

まさに、ケンコー・トキナーのサンクチュアリISリュックは世界大会でも勝てるような存在感がある、のだ。

しかし、本当にそうだよなぁ。なんでも視点をずらしてみると、かなり大したことないことを重大視していたと気づくことある。安い酒を呑んでいると、高級酒を味わえる通人に劣等感を感じてしまうのだが。考えてみれば、同じ酒呑みじゃないか。酔っぱらってしまえば同じだ!
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山田屋台紙店の台紙は有名メジャーリーガーと同じスタイルで売れる

WBCである。今日は控えようと思いつつも、つい試合を観てしまう。小市民としては、御多分にもれずに大谷翔平選手の活躍に注目してしまう。ただ、今回のWBCでは、ダルビッシュ有投手の発言にも感心してしまった。

これは、業界紙のほうのコラムでも書いたのだが。今回は不振が続いていたジャパンの主軸打者につ山田屋さんの入学台紙.jpgいて、聞かれた時の彼のコメントだ。『結局、野球のこと』と表現。野球より人生のほうが大事。休みがあるのだろうから、その時間に美味しいモノでも食べて、ゆっくり過ごしたほうがいい、という内容であった。要は、人生=野球ではない。野球は人生の一部である。そのことで、人生全体を塗りつぶして落ち込み引きずって過ごすのはやめたほうがいい、という感じだろう。

 こちらみたいな昭和世代は、もちろんのこと。日本人の場合は、結構な若い連中も仕事=人生と思い込んでしまう。なので、仕事で不振がつづくと生活全般で元気がなかったり、人生そのものに絶望したりする。だが、考えてみれば人生の一部に仕事があるのだ。それ以外は家庭生活があったり、個人の趣味の世界があったりする。書いてしまうと、当たり前のことだが、このように俯瞰してみるのはなかなか難しいものだ。しかも、ダルビッシュ投手のように、野球に関して非常にストイックに取り組んでいる人間がそう言ったのだから、意外な気がした。また、かえって説得力があると感じた。

さらに、その野球自体にも彼は俯瞰した姿勢で取り組んでいる。彼が対豪州戦で投げたとき、次は交代が確定しているのに、変わらずにブルペンで球を投げ込んでいた。その映像を見たテレビ中継の解説者は「たぶん、あれは自身が本日決めていた球数に達していなかったので、自身の調整のためにやっているのだろう」と分析していた。この動きも、なかなかだ。ある意味、野球そのものについては、WBCは楽しみながら力を発揮する場所にはするが。やはり、本業のほうのメジャーの開幕に備えての調整をするということなのだろう。このあたりも、彼は俯瞰して考え動いているのだ。

いずれにしても、俯瞰してのめりこまずに有意義に行く。これは、日頃から視野が狭くなりがちな、こちらとしては非常に新鮮であった。

ところで、写真用品である。山田屋台紙店の台紙である。ここの台紙は、やはり革製で作られたような高級台紙のラインではない。なので、思い出にのめりこみすぎていない。その一方で、品質に関してなど価格の割には、かなりしっかりした素材だし良いつくりとなっている。思い出を重い出にしないで、ごく軽くしつつ、それなりに力を入れて楽しみながら商品力を発揮しているのである。

まさに、山田屋台紙店の台紙は有名メジャーリーガーのスタイルでアピールする、のだ。

しかし、今回のWBCで改めて、日本のプロ野球にも逸材が多いということに気がつかされた。久しぶりに、日本のプロ野球中継も見てみるかな。。安酒でも呑みながら・・。
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ユーエヌのチェンジングバックは渋いヒットを飛ばすだろうなぁ。。

書店に足を運ぶと、だいたい自己啓発本というコーナーが目立つ。そのコーナーの名前は、生き方、とか時間の使い方、とか様々であるが。要は、自己啓発本である。

この種のものは、ビジネス街の本屋に行けば行くほど数が多くなる。過酷なビジネスの現場に生きる02-1.jpg人々にとっては糧となる分野かもしれない。では、これはやはり相当に役に立つのだろうか。。実は、そんなことはない、という意見もある。その場では、大きな気分になり生活いや人生そのものが変わりそうだが、数日たつといつもの淡々とした自分に戻る。そんな評価も多いようだ。ただし、それを読んだ人は、効果がないのは自分の怠惰なせいだと思う。で、しばらくすると、他に自分にできそうな目先の変わった同種の本を購入したりする。

これは、なにも推測ではない。実は、こういう本で一定の実績を挙げている出版社の担当者が本に書いていたことである。その筆者曰く、だいたい、こういう自己啓発系の本のテーマは何パターンか決まっており、それらを順番に取り上げていく。原理的には、もちろん当たり前のことが基本になっているから、その通りにやっても害はない。で、その害のない原則を基本に、一定のストーリーを加味させていくと、ヒットの道を歩む。そのストーリーというのは、凡人あるいは逆境に置かれた人物が、目覚めて本に書かれている原理を実施することで成功していくという流れだ。その人物は、実在の人間だとなおいい。

確かにそうだ。これは、自己啓発本だけではない。今のヒットした歴史小説系の史上の人物の描かれ方にも、そういうパターンが多い。目覚めて、研鑽を積み、己の隠された器を発揮していくのだ。だが、一般の人が、それを取り入れようとしても、なかなかうまくいかない。何故だろうか。簡単である。酷なことだが。そういう人物らは、もともと才能があったからだ。当たり前のことだが。。

もちろん、そんなことはわかっているだろう。それにこれが目に見えた能力なら明確だ。誰もが、子供のころから野球を頑張ったところで、大谷翔平にはなれないだろう。少年柔道教室に通っても大野将平にはなれない。が、目に見えないビジネス、政治系や例えば官僚や法律系、医師、科学者、文学系などの分野では、そんなことは思えない。頑張れば、花開くと思ってしまう。

これは、かなりの身近な場合でもそうだ。そんな偉人レベルではなくても、そこそこ成功しているくらいなら、自分でもできると思ってしまう。だが、よくよく観察すると、そんなことないのだ。すごい人というのは、やはり凄いのだ。仕事柄、起業して成功した人を何人か取材しているが。そういう人らというのは、もともと凄いのである。だいたい、彼らのサラリーマン時代を、その当時の関係者から聞いても、有能だということは一貫して言われる。稀に、集団生活が合わずに目立たなかったタイプもいるが、そういう人でも頭の良さは、どこかで買われていたりしていた。そもそも、起業するくらいの度胸があり、それで成功に導くのだから博才があるということになる。自分を信じて努力し続けるのだって才能なのだ。

と、ここまで書くと身も蓋もない。だが、そんな必要はない。そういったことを理解した前提で言えば、凄くない凡人には凡人の戦い方があるのである。今の時代は、様々なSNSが発達している。別に文章がうまくなくても、こういう駄文書きでもブログで、好き勝手なことを書けるではないか。そのインフラがあるなかで、コツコツと野球で言えば、2割5分程度は打つレギュラーになれる程度の打者を目指して行けばいいと思う。

ところで写真用品である。この欄でも何度か取り上げたのだが、ユーエヌである。この企業は、かゆいところに手が届く的な商材を開発する。その原理は、コツコツと販売現場を回り、実際に欲しいという声を聞き、一定の確実な売り上げを見切った商品を発売して渋いポテンヒットくらいを売って実績を積み上げている。そんなユーエヌが復刻版のチェンジングバックを発売した。今のフィルムカメラブームなどにはぴったりだ。もちろん、既に売っている他社もあるが、そこよりは企業努力で価格も抑えられた。これは、例えば中古カメラ店などでは、一定数は買うだろうなぁ。さらに言えば、同社はJNRのロゴ入りSDカードケースやレンズキャップ、ストラップも発売している。やはり、好きな人は一定数買うだろう。地味ながら渋いヒットが打てるのだ。

まさに、ユーエヌのチェンジングバック等の商材は渋いヒットを飛ばしていく、のだ。

しかし、本当にそうだよなぁ。華々しく勝つのが人生ではない。地味でもいいから、渋いヒットを積み重ねていく。そういう行き方があるのだ、と思いながら今日も安い酒を呑んでいる。。
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CP+2023は固定概念を斬り落とすような印象であったのだ

 CP+が始まり、終わった。今回は久しぶりのリアル開催というやつだが、なかなか衝撃的な感覚を覚えた会ではあった。

これまでの既存の価値観をひっくり返されたという感じであったのだ。そのひとつが、ケンコー・トCP①浅沼の額.jpgキナーやエツミのブースである。三脚というのはカメラを載せるものではないか、、という思いが壊された。特にスリックのcamper製品はテーブル付三脚ということだが。商品名通りに、キャンプで使える優れモノだ。もちろん、カメラを載せてもいいのだが。撮影に行きながら、キャンプ用品としても使える。これは、エツミのブースでも同様の展示がされていた。さらに言えば、SIRUIのブースではLED製品が展示されていたし、ゴドックスにはマイクがあった。また、地味ながら浅沼商会のブースでは多面のフレームの新製品(写真)が展示されており、業界紙記者的には渋くていい感じを受けた。

ここで、改めて思ったのだが。既存の価値観でとらわれていては駄目だということだ。いや、駄目ではないが、かなり損をしているということである。

また歴史の話で恐縮だが。剣術と剣道は違う。本来は、相手を殺傷するための技術である剣術なのだから、練習で竹刀で打ちあったりは本来はあり得ないのだ。そんなことを剣でやったら、欠けてしまうし火花は散るし大変だ。相手の刀を見極めて避けながら、自分は踏み込んで斬っていく。斬り落としという動きが重要なのだ。時代劇などで見る、カンカン、剣を打ち合うのではない。実際の斬り合いは腕が立つものほど、人の身体を斬る音がするだけということになる。凄まじいものだ。

相手に勝つ技術なのだから、必要がない際は刀は使わない。当時でもかなり合理的な人物であったと思う新撰組の土方歳三は、途中から洋装にして「もう刀の時代じゃねぇな」と呟いて、西洋式の指揮方法で火力を活用した。もっとも、このパイオニアは宮本武蔵で、彼は書き残している。二刀流は何故いいか。一本で遣うより、二本をもって遣ったほうが理にかなっている、と。もちろん、日本刀のようなものをものを、片手で自由自在に使いこなせる人間など、彼のような天分や体力に恵まれてないと無理だろう。が、あくまで勝つための方法を追求していきついた結論なのだ。

まさに、今回のCP+は既存の価値観を叩き斬るようなショーだった、のだ。

しかし、なかなかいろいろと発見があった会だったよなぁ。。ちなみに、事前にプレス登録しようとしたところ、媒体のURLを記載しないと前に進めなかったのだ。そう、それがない。と、そこで試しに、当ブログのURLを入れてみたところ、これが通ったのである。やはり、駄文でも続けるものだ、と改めて思った次第であった。
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