ビリンガムのバッグは自己変革をしながら成長する大政治家のイメージがあるのだ

一度つけた自分のカラーを破るのは難しいものだ。自分のカラーがいつのまにか、殻になっている。この殻が非常に硬かったりする。自縄自縛と苦笑いしている場合ではないほど固い。

だが、不思議と、この殻をものともせずに、あっさりと破っていくタイプもいる。そういう人間は、ビリンガム.jpg外から見ると、なんともつかみどころがないような感じがするが、なに本人は我が道を行っているんだから問題はなかったりする。

例えば、一昨年の大河ドラマの主人公になった明智光秀という人物である。生真面目な教養人という一面もあれば、主君の織田信長を上回る合理主義者ということも感じさせる。古からの伝統の守護者という考え方もできそうだが、そうでもなさそうな面もある。ちょっと、とらえがたい人間のようだが。彼の場合は、もともと医師としての修業を積んでいたという史料もあるようで、そこから、いろいろな主君に仕えて少しずつ自分を変えていったという感じがしなくもない。また近世で言えば、伊藤博文という人物もそうで。血気にはやる幕末の志士から食えない政治家の伊藤博文になるにあたり、自分の殻を破りまくり、壊しまくって変革させている。こういう才能があるというのを、師匠の吉田松陰は見抜いていたようで、周旋の才がある、とある種の柔軟性を評価している。

ところで写真用品である。英国ブランドのバッグにビリンガムというのがある。というのがある、と書くのはおこがましい。有名なカメラバッグである。ただ、このカメラバッグ。1973年にマーチン・ビリンガム氏が創業した当時は、フィッシングバッグとして米国に輸出している。その際に、たまたまフォトグラファーにカメラバッグとして使われ名を馳せたのだ。偶然が重なり、カラーを変えて殻を破ったのだ。もっとも、ハードケース主体の当時のカメラバッグ市場のなかでは、いまひとつではあった。が、それがロンドンのカメラショーで著名フォトグラファーらが評価しだして、一躍裕めになり今の地位を築いたのだ。常に、殻を破り成長している。この姿勢は、今でもそうだ。確立された伝統バッグブランドでありながら、常に品質を向上させて前進を心掛けている。

まさに、ビリンガムのカメラバッグは常に殻を破り成長していく大政治家の雰囲気がある、のだ。

ところで、そのビリンガムだが、明日明後日まで開催される横浜のCP+の会場近くで展示会を行っている。国内の販売を担当するオリエンタルホビーの担当者も居て、いろいろと話もできそうだ。カメラファンなら、格調高いビリンガムのバッグを是非みておいて損はなさそうだ。
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KANIフィルターは写真の写りだけではなく世の中にも独自の光を届けるのだ

 小説家を目指している知人がいる。たまに、会って話をするのだが。なんというか、妙に盛り上がらない上に、後で不愉快な感じを抱いてしまうことがある。決して悪い性格ではない。だが、なんかつまらないのだ。大変失礼だが、書いているという小説も自己満足のつまらないものなんだろうなぁと、無礼なことを考えてしまう。

その理由はなんなのか。よくよく考えてみると、会話に人を楽しませようという姿勢が感じられない8469be_4f2b10d7699b42d4aea1c1e707ebffa2~mv2.jpgのである。本も非常に良く読んでいる。それなりの見識もありそうだ。だが、何か自分の殻に閉じこもり自己満足のような気がするのだ。実際には親からもらった不動産収入があるせいか、在宅のバイトのようなものをしているだけで、あとはずっと本を読んだり、執筆活動をしている。

もちろん、生き方など自由だ。人に迷惑かけない限り、どうあろうと各々の勝手だ。だが、閉じこもると当然ながら、人との会話が少なくなり、人を喜ばせようという感覚もなくなる。ただ、自分の思ったことを、豊富になった知識をもとに話しているだけだ。なんか詰まらないのである。その根底にあるのは、前述のように人を楽しませるような気持ちがなく、さらに言えば少しでも何か世の中の役に立ちたいという考えがないということだ。

例えば、そんな知識もあり時間もあるんだから、ブログを開設して読んでもらった人の知識の啓蒙をすればいい。だが、それもしない。それでも書いている小説の内容が楽しいモノであれば、人を楽しませるという役割は果たしている。だが、そういうことも考えてなさそうだと、やはり自己満足の内容になりがちだろう。よく孤高の芸術家というが、孤高ならよい。結果、世のため人のためになるようなモノものを作れるなら、その過程で孤高だろうが和気あいあいだろうが、なんだってかまわないのだ。だが、言い古された言葉だが、世のため人のためという理念なきものは、単なる自己満足の作品ということになるだろう。

どこか、その『全てのモノや行動は世のため、人のため』の要素があったほうがいい気がする。

そういう意味で、角型のKANIフィルターを擁するロカユニバーサルデザインは違う。ただ売るというよりも、セミナーを行い、フィルターのすばらしさを啓蒙することを第一にする。そのために、人気カメラマンとのコラボ的な商材も多いのだ。が、これはファンにとってはたまらないだろう。笑顔で購入していく。ちなみに、企業自体も世の中への貢献を意識して社業を行っている。社員としての雇用創出を積極的に行っているのである。同社の社長の話を聞くにつれて『社会的起業家』という言葉を思い出してしまうのだ。

まさに、KANIフィルターはフィルターの素晴らしさだけではなく社会をも明るい色で写すのだ

しかし、本当にそうだよなぁ。。こちらも、結果としてモノにならなくても、ともかく世のため、人のためという部分は追求していきたいと思う。自己満足に陥るなら、それはつまらない小説と内容がかぶるような生き方になりそうである

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H&YのREVOLING SWIFTシステムは武田信玄公も喜びそうだ

 そろそろCP+がやってくる。カメラファンにとって久しぶりのリアル開催である。また、写真業界にとっても力の入るところだろうか。だが、これは今回に限ったことなのではないのだが。本音を言うと、現段階では非常に億劫ではある。

これは、今回に限らない。いざ会場入りすると、アドレナリン全開になり回りながら『もうこんな時hy.jpg間か』という感じになる。が、横浜まで向かう長い道のりを行く際中は非常に億劫で鬱状態になる。なにか、これから途方もないものに立ち向かわないといけない感じだ。学生の頃も、いざ受験や資格試験の勉強に取り掛かる前はいつも鬱になった。が、いやいやながらでも、とりかかるとアドレナリンが出る。我ながら、怠け者の特徴を持ち合わせていると思う。

もっとも、こういうタイプは居るようだ。以前に、看護師をしている知人が語っていた。オペ担当だったらしいのだが、呼び出されて立ち会うまでは非常に億劫であり鬱状態になる。だが、いざ手術室に入るとアドレナリン全開になるという。なんとなく理解できる気がした。さらにいえば、歴史上の人物では武田信玄公も同様のタイプだったと思う。要は、怠け者的性質を持っているということだ。こちらのような無学な輩ではなく、海音寺潮五郎先生が分析している。政治的な動きを見ると、新しいことになかなか取り掛かっていない、と。かの武田信玄がそうなら、こちらも堂々と怠け者を名乗ってしまおうとも思う。

ところで、写真用品である。そのCP+で初めて出展する企業のひとつにH&Yフィルタージャパンがある。この新進気鋭の企業の目玉商品がREVOLING SWIFTシステムである。このシステムひとつで、動画もスチルも対応可能。フルマグネットで現場の状況に応じてカスタム可能となる。まさに、撮影中にいろいろといじるのが億劫だという人には最適なものではないか。

まさに、H&YフィルターのEVOLING SWIFTシステムは武田信玄も喜ぶアイテムだ。

しかし、本当にそうだよなぁ。カメラ関係に関わらずに、イベントや祭りになると非常に生き生きするという人にたまに会うと羨ましくなる。こちらが生き生きするのは、、飲み屋に向かっているときだろうか。
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エーパワーのHOLGA1200GCFは渋い剣客の雰囲気がある

 猫も杓子もフィルムカメラブームである。などと書くのは大袈裟か。だが、フィルムカメラが流行っているのは事実だ。中古カメラ店の新店舗はできるし、フィルムカメラ好きの若者は多くなっている。

いや、若者だけではない。以前にフィルムカメラを楽しんでいたというシニア世代も、改めて取り組ホルガ.jpgんでもいる。もっとも、若者が加わることによって通常の中古フィルムカメラだけではなく、少し手頃なタイプの安価なフィルムカメラも売れているのだ。

だが、そんな光を浴びている中で、動きがいまひとつなフィルムカメラ系の機材もいくつかある。そのうちのひとつが、エーパワーが発売するホルガだ。特に、2019年にホルガ120シリーズの生誕40周年を記念して発売したHOLGA1200GCF撮り比べセットの動きが鈍いのだ。撮影中にガラスレンズとプラスチックレンズの交換が可能な非常に楽しめるキットなのにである。ブローにフィルムだから現像云々というのは関係ない。通常のフィルム現像だって、自家処理できるカメラ店は限られているのだから、同条件である。ともかく何か歯がゆい。この製品をあまり認知していない人が多いのではないかとも思うがどうだろうか。

どうも、この製品を見ると、その見た目のカッチリ感から『いまひとつ光が当たらなかったが実はすごい剣客だった人物』を連想してしまう。例えば、江戸後期に剣術界で著名だった高柳又四郎という剣客である。音なしの剣というスタイルをとっている。要は、相手の竹刀が自分の竹刀に触れる音がすることなく勝負をつけるということだ。というか、これは実際の斬り合いでは当たり前のスタイルだろう。刀と刀などがあたったら火花が出て欠けてしまう。それより、切り落としという形で相手の刀を受けずに身を開き避けて相手を斬る。もっとも、これができるのは当然ながら達人である。そんな存在の高柳又四郎だが、一部の歴史ファン(学者ではない)にとっては知られているが、一般的には無名だろう。せいぜい、彼をモデルに中里介山が大菩薩峠の中で机龍之介という人物像を造形した程度だ。それとて、いまや古典だ。

まさに、エーパワーのHOLGA120GCN撮り比べセットは影の天才的剣客の雰囲気がする、のだ。

しかし、本当にそうだよなぁ。なにか、今の時代にもっと売れそうな気がするのだが。。ある用品関係者は黒だけではなく、カラーバージョンがあれば若者に受けるのではないか、とも指摘していたが。でも、高柳又四郎には黒が似合うのかもなぁ。。
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