御朱印帳ディスプレイフレームはご利益ライフを10倍楽しめる用品だ

 この欄でも、何度か触れているが。絶対的な価値観というのは存在しないと思う。一方が良いと思って絶対視したところで、実はそうでもないという反証はいくらでもできるのだ。

例えば、歴史上の人物を評価する場合だ。現在、大河ドラマでは徳川家康が主人公である。この家goshuinm4br_features06.jpg康、織田信長、豊臣秀吉あたりは間違いないくらいの英雄といってもいい。だが、そもそもそういった勝者が偉いのであろうか。そもそも、勝者が偉いというのは一面的な見方なのではないか。

一方、同時代人の中に、今川氏真という人物がいる。この人は歴史好きには甚だ評価が低い。だいたい、父親の今川義元でさえ、その実績の割には評価が良くない。最近になって、ようやく優れた手腕を見直す向きがあるくらいだ。だいたい、人気ある織田信長に負けたのがよくない。ましてや、その息子である。父親が遺した地盤を守れなかった無能ということになる。

だが、果たしてそうだろうか。いや、そもそも歴史上で名を残さないといけないのか。

少なくとも、今川氏真というのは、あんな激動の時代にあって寿命を全うしているのである。織田信長のように家臣に殺されたりしていない。家康はともかく、秀吉の息子の秀頼などは攻められて自決している。さらに、今川氏真は徳川幕府の下で高家の旗本として家名と子孫をきっちりと遺している。東京都杉並区には今川という地名さえも残している。なので、ある意味生き延びるという術に長けた勝利者なのではないかという見方もできるのだ。天下取り競争の英雄という価値観もひとつの価値観ならば、生き延びるという意味では勝利者とも言えないだろうか。

今川氏真の生涯をみてみると、ひとつの価値観にこだわるのは、おかしいのではないかということを改めて感じる。

ところで写真用品である。ここのところ写真業界では、フォトフレームが単なるフォト用だけではなく、様々な用途に広がっている。ポスターやCDジャケットを入れて飾ったりとか、いろいろである。そんな中で、このほどケンコー・トキナーから、なんと御朱印帳を入れるためのフレームが発売された。御朱印帳ディスプレイフレームである。台紙はスウェード調生地で紺色とエンジ色のリバーシブル仕様である。今や、御朱印帳集めはポピュラーなブームである。そんなブームを10倍楽しめるフレームである。

まさに、ケンコー・トキナーの御朱印帳ディスプレイフレームはモノの価値観を柔軟にしてご利益がありそうなフレームなのだ。

しかし、ものの価値観なんて本当に一定ではないよな。何が良くて何が悪いか。いや、正しいものはなんなのか。そんなのは無いような気がする。ただ、現実的な利益調整の一定の指針として法律が存在するのではないだろうか。
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ハクバの新撮影ボックスは全てをリアルに写せて魅力を引き出せる品だ

 しかし寒い。寒いと心も寒くなるものだ。極限状況になると、人というのは普段隠していた本性が出るものだが。それは、暑さより寒さのほうが勝るのではないか。これに飢えでも加われば最悪だ。最近、映画になっていたが旧ソ連の収容所では、捕虜の兵士たちが配給された食料の配分を巡って疑心暗鬼にもなっていたようだ。

これは、これほどの極限状況ではなくても起こりえるもので。高校や大学などの部活で、一定以上のスタジオボックス.jpgトレーニングをさせられていると、他人のことなど目に入らなくなりエゴが全開になるときがあるだろう。そう、一見、常識や穏やかさの殻をかぶっていても、本性は荒くれ者だったりするということもありうるのだ。

だが、これは悪いことではない。実は、人はどんな本性だろうと、見極めることで自分のコントロールをしやすくなるからだ。これは、なにもこちらのような浅学菲才の人間が考えたのではない。古代の偉大なソクラテス先生が言っている。汝自身を知れ、と。

まずは、どんなひどいものであれ、自分の本性を知る。そのうえで、ではそれを意識したから、あとはどう対処するか。それを考えればいいだけの話なのである。

例えば、ある有名な女優さんは、昔から引っ込み思案で臆病な性質があったという。最初はそんな自分が嫌でたまらなかったという。だが、気づいた。この性質を認めて、だからこそ頑張って舞台で切り替えてできれば、逆に大きな達成感が得られるはずと。そうすることで、自分に悩むことなく演技の習得などに集中。今では、テレビや映画などでも味のある演技を披露してくれている。

これは、歴史上の人物でもそうで。元寇の戦いの際に執権として日本の威信を守り抜いた北条時宗は、幼少時には非常に弱い性質であったという。そこで、禅を組むようになったのだが。ある日、禅師から言われたという。「時宗は時宗で良い。だが、事に及んだら、その時宗を捨て去ればいい」と。彼は、自身の臆病さを認めたうえで、事に臨んだら極めてドライに割り切って対処。そうすると、普段の臆病さも細心な性質としてプラスに加わり、抜かりの無い対応ができたのである。どんな自分でも認めたうえで対処すればいい、か。

ところで、写真用品である。ハクバ写真用品から、スタジオボックスの新製品が発売された。これは、簡単ながら3色のスクリーン付で良い撮影ができる意外に優れモノであった。これで、あますところなくモノをリアルに撮影し、その長所もわかりながら商品を披露し世に問えるかもしれない。

まさに、ハクバの新スタジオボックスはリアルな姿を映して魅力を引き出す品、なのだ。

しかし、本当にそうだよなぁ。考えれみれば、このブログだが自分がいかに浅学菲才化を披露している。そのうえで、後で読み返すと、もう少し文章の勉強もしろと考えてしまう。やはり、リアルな自分の能力なりを知るのは良いことなのだろうなぁ。。
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サイトロンジャパンは令和の織田信長軍団として行くのだ

 明けましておめでとうございます。本年はどこまで、このブログを続けられるかわからないのだが。まぁ、頑張ります。

で、今年の大河ドラマだが。主人公は徳川家康である。どうやら、新解釈の家康像を描き出すようサイトロン製品.jpgだ。期待したい。ちなみに、この徳川家康に関しては、狸オヤジだの逆に時代を見据えた人格者だの、いろいろな解釈がある。まぁ、人間などというのはいろいろな面があるのだから、資料から見ても様々な面がクローズアップされるのは当たり前だろう。こちらとしては、司馬遼太郎先生の書いた「覇王の家」の家康が印象的だ。永年の経験で、自分をひとつの機関として位置付けた家康像であったのだ。

それはそれでいい。ところで、この家康を描く際に必ず深くかかわってくるのが織田信長である。この信長像は家康と違い、ほぼ一貫している。破天荒で天才的な気質を持つ政治家であり武将だ。だが、本当にそれだけではないだろう。実は、当時の一次資料と巷間言われている信長像とは少しの解離がある。これは、以前にもここか業界紙で書いたのだが。一般に小説やドラマで言われている信長の動きと一次資料の動きに微妙なずれがあるのだ。例えば、何か事が起こり、その事態が城に居る信長に報告されたりする。その際に、小説やドラマだと「よし好機だ」などと叫んで立ち上がったりする。だが、資料では言葉少なく「で、あるか」などと言っているだけだ。こういう例は多々ある。そういう点では、それほど突飛なタイプではなかったような気もする。

と、これを前提に論じたいのだが。織田信長は、それほど異色な人物ではなかったと思うが。当時の人物としては珍しく、それこそ予定調和を崩していくタイプだったんだろうなと思う。有名な桶狭間の戦い、だって言われているような思いつきの奇襲戦法ではなかった。だが、すごいのは今川義元の首をとってしまったということだ。こういう、通常の戦略ながらプラスアルファで1歩進んでいく。その1歩が予定調和を崩すような動きでいく。そういうことをする人物だったと思う。要は、釣り堀で皆が黙って魚を釣ろうとしているときに来て、いきなり網や手を使って魚を取ろうとするタイプである。そのまま追い出されるが、その前に魚を手にしてさっさと自分から出て行ってしまう、そんな感じか。

ところで写真用品である。業界にはサイトロンジャパンという望遠鏡系の企業がある。そのサイトロンだが、既存の路線でも活躍しているが。ここのところ、一歩踏み込んでいる。自転車メーカーを買収したり、あるいはサバイバルゲームのためのショップを開店したりしている。そうかと思うと、いきなり物流や工場などを拡大し、オリジナルブランド品の開発に熱心に取り組んでいる。あるいは、既存路線の路線本格派の商材である天体のほうで電視観望の提案に取り組んだりする。さらには、逆にこの時期にカメラバッグを開発したりするのだ。予定調和的な動きはどこまで崩すのだろうか。

なお、写真はサイトロンジャパンのカラー揃えた双眼鏡群である。本当に型破りな品揃えだ。

まさに、サイトロンジャパンは業界の織田信長的な動きをするのだ

しかし、本当にそうだよなぁ、今年は信長にも期待したいが。。岡田准一君が演じるようだ。なんか、彼なら本能寺の変など、軽く突破して生き残りそうな気がする。明智光秀役に西島秀俊氏あたりを配さないとまずいのではないか・・

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