ケンコー・トキナーのエグザプロはMLBの若手投手並みの期待感がかかるのだ

 業界紙のほうにも書いたのだが、MLBで藤浪晋太郎投手が悪戦苦闘している。日本でもポテンシャルの高さは評価されていたものの、なかなか100%の実力は出し切れなかった。だが、やはり球威など目を見張るものがある。勇躍、MLBに挑戦したのである。

だが、新天地で好スタートというわけにはいかない。先発に起用されていたものの、ともかく打たれえぐ座プロ②.jpgる。もっとも、全て悪いわけではない。よくよく、彼のピッチングを見ると打者一巡くらいまでのイニングでは球威も持続し制球もきっちりとしている。ただ、それ以降で何か四球なり、死球なり暴投なりがすると一気に崩れていく。野球技術云々以外の精神的なものもありそうだが。それにしても、何か勿体ないような気がしていた。

だが、そう。そのためうってつけの解決方法が提案され試されている。中継ぎへの配置転換だ。もともと、球威もあるし2イニング程度は打たれないのだから、これは良い試みである。彼自身も、ペース配分など比較的、雑念なく目の前の打者に向かっていけるだろう。試した結果は・・まぁ、まだ万全とは言えないが、それでも一歩良い方向に進んでいる気もする。

この中で、ふと思ったのは、大は小を兼ねるということである。先発投手というのは、だいたい6回くらいまでは投げるとして、そのために球威、ペース配分、ここぞというときに打たせて取る技術など、様々なものを持ち合わせる。だが、それがゆえに、いざ配置転換した場合は、きっちと応用できるというわけである。使いようである。今後、藤浪晋太郎投手は先発復帰も目指して行くと思うが。場合によっては、しばらく中継ぎで調整して、その配置でのプロフェッショナルを目指してもいいのではないかとも思っている。それも、生き方である。奮闘に期待したい。

ところで、写真用品である。ケンコー・トキナーが少し前に発表したのがエグザプロという新ブランドシリーズである。これは、なんと同社の現役の人気フィルターをスマホで活用して撮影を楽しむための機種である。なるほど、、確かにカメラで使えるフィルターをきっちりとスマホでも使ってみるというわけである。先発投手が、技術を使い中継ぎやクローザーの場でも役立てるようなものだ。

まさに、ケンコー・トキナーのエグザプロはMLBの若手投手並みの期待のチカラを持つ、のだ。

しかし、ほんとにそうだよなぁ。誰もが、大谷翔平になれるわけではない。なので、それぞれが生き方を目指していいのだ。このブログだって、一般の写真関係ブログからは大いに外れているが、もやや600回を迎えたのだ、と自画自賛しておく。
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ハクバ写真産業のクリアブロアーMは渋い名脇役を彷彿させる用品だ

人の生きざま、モノのありようなど、それぞれだ。だが、意外に世間というやつは一面しか見ないで評価する。なので、世間の価値観に合わせると、多くの価値のあるものを見過ごすことになる。が、それはそれで仕方ない面もある。

例えば、演劇の世界では誰もが目立つ役をやりたがる。それは、主人公だったり、あるいは特徴的なブロアー.jpgキャラクターの脇役だったりする。だが、皆がそれであれば舞台は成り立たないだろう。それらのキャラクターを引き立てるための影の薄い役どころが必要だ。しかし、そういう役は多くの役者がやりたがらない。結局、やるのはそういう特徴ある役をやりたかったが、できなかった人らが演じたりする。なので、ますます目立たなくなる。いや、目立ってはいけない役どころだから、それでいいのだろうが。。

だが、この特徴のない役どころでも、個性を追求するこはできるだろう。それに徹底していれば、多くのプロデューサーから声がかかり、目立たない役をやらせたらエキスパートの称号が与えられたら、これはもはや芸術的な演技ということになる。

ちょっと、話はずれるが、人には向き不向きがあるのは確かだ。実人生においても、社会の中では主役に向くタイプもいれば、明らかに渋いわき役もいる。もっとも、自分の中では自分が主人公なのだから、胸を張って渋いわき役でも徹底的に演じて自然にいけばいい。そうすることで、人は個性が光ってくると思う。

ところで、写真用品である。ブロアーという存在がある。知っての通りのモノだ。そこで、いろいろと性能などは各社とも変えて発売しているが。その形態をかなり先端的に高めて、持ち喜びにまで昇華したモノは見かけなかった。が、今回のハクバ写真産業のクリアブロアーMは半透明シリコンゴムを使っており、かなり清涼感あるデザインとなっている。もちろん、約100ccの噴射が可能で、実用さも抜群だ。ともかく、持ってメンテナンスする楽しみ、にまで進化したブロアーということだ。

まさに、ハクバのクリアブロアーMは舞台で主役を食う渋い脇役のようなモノだ

しかし、本当にそうだよなぁ。。それに特化すると、かなりの光る個性が一目瞭然となる。こちらも、下町あたりの安酒場を究めれば・・。既に多くがやっているか。。
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3iのカメラポシェットは幕末の剣客の気迫を持つ製品なのだ

 勝とうと思うと負けることがある。さらにいえば、何かをギラギラと狙うとことを為せないことがある。目的志向があまりにも強いと、うまくいかなくなったりする。

幕末の剣客の山岡鉄舟の話である。彼ほどの剣客でも、どうしても勝てなかった相手がいた。浅利又ポシェット.jpg七郎という剣士である。彼と対峙すると、どうしても姿が大きく見えて勝てる気がしなかったのだ。勝とう倒そうと勇猛心を振るっても駄目である。そんなときに、商人として成功した元弟子が挨拶に来た。商用で近くに来たようだ。久しぶりの再会に喜び、四方山話をしていたのだが。その弟子曰く。「今まで商人として投機的な仕事もしてきましたが。面白いことに、儲けようと思うと失敗するんですよね」と語る。「ほう、ではどういうときに成功するのだ」と山岡鉄舟。「不思議なことに、もう儲けとかではなく、良い商売をしようと開き直ったときに限り運に恵まれ、知恵も生まれ成功するのですよ」と。

その時、山岡鉄舟の脳裏に閃いたという。自分は、常に浅利殿に勝とう勝とうと考えて剣技を磨き挑戦し負けていた。それが逆に、剣士としての力を抑えて居たのではないか、と。そこで、改めて考えた彼はついに『勝ち負けではなく、良い剣を見せよう」と決心したという。その後に、彼は、その心持で純粋に浅利と対峙。すると、相手は「もはや、私の及ぶところではありませんな」と一礼して降参したという。

これは少しわかる気がする。無欲の勝利などとカッコいい言い方もあるが。要は、集中力の問題だろう。人は適度以上の欲望を持つと、そちらに気が取られて能力を発揮できなかったりする。その際に、ともかくベストを尽くそうという心境になればということではないだろうか。

ところで、写真用品である。蔵ブランドでお馴染みのサンアイからカメラポシェットが発売された。かなり店頭で人気のようだ。非常に、こだわった商品で、生地は当然として紐を通す穴から内部の構造など、ここまでかよ、という感じで細部に配慮している。これは、売れるだろうと思うのだが。業界紙のほうで取材のおりに、サンアイの社長に聞いたら。なにもマーケットの状況を見て実績予想で販売したわけではない。生地そのものを一堂に集めた展示会を訪問し、ここで『ともかく、この生地を使った商品を作りたい』と考えたのがきっかけだったようだ。その良い生地で良い商品を作る、その思いでできたのがカメラポシェットなのであった。

まさに、3Iのカメラポシェットは不世出の剣客の心境に匹敵する精神で生まれたのだ

しかし、本当にそうだよなぁ。欲はよくないよ。今日は呑んでやろうと呑むと悪酔いする。ともかく充実した時間を過ごそうと思うと。。とりあえず二日酔いはないかも。。
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ケンコー・トキナーのメビウスシリーズは日本の底力を感じさせる商品だ

日本人の凄さというのは、どこにあるのだろうか。もちろん、様々な点があると思う。だが、特に優れているのは思うのは、カスタマイズ能力が抜群だということだろう。

昔ほどでないにしても、やはり海外の個人主義に比べると調和を重んじる民族ではある。そのため、メビウスシリーズ①.jpg平均的に皆の能力を伸ばすという教育指針があるせいか、飛びぬけた天才が目立ちにくくはある。だが、そういう調和の精神をもつがゆえに、外部から入れた様々な対象を、自らの中で消化し皆に馴染むようにカスタマイズする力は抜群である。

例えば、遣唐使を廃止した後の国風文化の発達である。外からの知識は入れていた。が、その道を一度閉ざした。そのために、その入れた知識を内部で活用する必要があった。そうして、生まれたのが独特の国風文化となる。これは、仏教に関してもそうで。仏教というくくりのなかに、〇〇宗など、それぞれの特徴ある教えの部分をクローズアップしてバラバラに国内に入ったが。紆余曲折を経て、各々信者を抱えて共存している。さらに宗教でいえば、外来からの仏教と日本国土に土着していた国家神道とは本地垂迹説という理論で、うまくバランスをとった。

さらに言えば、明治の世にあっての憲法である。伊藤博文を中心に、まとめられた憲法は海外のものを中心に国内の風土の状況をうまくミックスさせている。ともかく、カスタマイズする能力に長けているのだ。これは、考えようによっては、非常に優れた資質だ。なぜなら、天才は素晴らしいが。その一人で創出できる量は限界がある。が、外から何かを経て、それを自分のものにして創出する人間は無限に創出できるからだ。日本に乾杯だ。

ところで写真用品である。ケンコー・トキナーが4月14日から発売するのが、メビウスシリーズという天体望遠鏡のセットである。実は、これは、あのトミーテックのBORGのシステムを採用した商品だ。もっとも、BORGと言えばヘリコイドシステムでお馴染みの玄人向けの製品である。このハイレベルの製品の販売に関しては、数年前からケンコー・トキナーが担当しているのだが。今回は、それをそのままではなく、きちんと独自の工夫を加えて、エントリー向けモデルとして発売したのである。それがメビウスだ。もちろん、撮影する際の機能にも十分に考慮したキットとなっている。

また、当然ながら本来はBORGなので、エントリー機ながらハイレベルのユーザーにまで発展ができるようになっている。BORGのシステムを知らないエントリーユーザーをも高みに連れていくことも可能だ。その裏には、ケンコー・トキナーがエントリー層向けにシステムを組んだ状態にしたりとかのかなり努力したのが理解できる。以前に、トミーテックが全面的に展開していたときに、同社の事務所にかなりの頻度で取材に訪れていた。その際に、担当者の方が言っていたのが、玄人向けの同ブランドシリーズ製品を新規客層に広めて、いかに良さをしらしめるかであった。なにか、ケンコー・トキナーのカスタマイズ能力でこれが実現したので、感慨深いものがある。

まさに、ケンコー・トキナーのエントリー層向け天体観測機材のメビウスは日本人の底力を感じさせる商品、なのだ。

しかし、メビウス、つまりメビウスの輪から来る無限の意味か。本当にそうなんだと思う。これからも、ケンコー・トキナーはその持ち味を活かして多くの人が触れられるアイテムを出し続けて欲しいと思う。健闘を祈る。
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ハクバのワンタッチパネルボードブラックは歴史上の光をも際立たせるだろう

 光あるところは必ず影がある。それらは一体のものであるのだ。人は光のみに目を向けてしまうが、実は影の部分がないと光は成り立たないのだ。

歴史上大きく勇躍した人物を見ると、だいたいこの影の人物が存在している。この影といっても、中ワンタッチパネルボードブラック.jpg途半端な暗がりではない。逆に中途半端な暗がりの人物だと、その人物自身も別にスポットがあたってしまい。光の部分の人物をくってしまうことがある。例えば、豊臣秀吉における黒田官兵衛などは、それ自体で大河ドラマの主役を演じてしまう。三国志の劉備における諸葛亮孔明もそうで、この場合、ハリウッド映画で金城武さんが演じてしまい、逆に劉備の役者のほうが霞んでしまっている。

なので、真の光りにおける影の人物と言うのは、徹底した黒子である。その一人が、野口英世氏における血脇守之助氏だろう。もちろん、血脇氏自身も東京歯科大学の設立など立志伝中の人物ではある。だが、やはり知名度はいまひとつだ。かれ自身の功績というよりも、野口英世のパトロンとして知られている。また、後年には、その野口英世の義理堅さを世に知らしめる役割を担っているにすぎない。この野口英世氏には、もう一人同様の役割をしていた人物がいる。SF作家の星新一氏の父親である星一氏だ。かれ自身も相当に立志伝中の人物なのだが。そんな功績は目立たなくなり、野口英世の友人という立場でのみ名を留めている。

だが、これらの影の人物がいないと、栄光ある偉人の野口英世氏は誕生しなかったかもしれない。影の存在は光には必須なのだ。

ところで、写真用品である。ハクバ写真産業の新製品に「ワンタッチパネルボードブラック」がある。剥離紙を剥がして写真やポスターを貼るだけで簡単にディスプレイできる粘着剤付きのブラックボードパネルである。カット面まで黒いところから、作品をスタイリッシュに演出してくれる。まさに、光である写真やポスターなどの作品を影の部分として打ち出せる用品である。

まさに、ハクバのワンタッチパネルボードブラックは光ある作品を成り立たせる影の主役、なのだ。

しかし、本当にそうだよなぁ。。ちなみに、今の大河ドラマではさしずめ、徳川家康が光なら、参謀の本多正信あたりが影か。。だけど、やはり主役クラスの松山ケンイチ氏が演じているしなぁ。。
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