ユーエヌのマルチカメラバーは暴れん坊将軍なみの手腕が発揮できる用品なのだ

かつて、暴れん坊将軍という時代劇がロングセラーを誇っていた。誇っていたというよりも、今でも再放送をテレビでしている。朝の4時からであり、早起きの高齢者の方か、その時間に原稿を書き終えたような三流のライターくらしいしか見ないかもしれない。

 で、その暴れん坊将軍の主人公は、八代将軍徳川吉宗である。彼の若い頃を描いているらしいが、unx5708.jpg娯楽時代劇のために、新門辰五郎が100年以上前に登場したり、吉宗が市中に出て大立ち回りを演じたりとなかなか面白い。ところで、この吉宗だが、何故こんなに有名かというと、一応徳川中興の祖ということになっているからだ。武断政治から、文治政治の過渡期にあってうまく幕府を主導した。また、歴史学者に言わせると、家康以来の農本主義が衰退する中で、なんとか堅持し次代の流れに乗せてソフトランディングさせて幕府の命脈を保ったと言われている。

ただ、この吉宗だが、改めて事績を調べると、さすがにスーパーマンか、というくらいの能力があったことに気づく。もちろん、将軍という絶対的な権力者であったのだろうが。基本的に、家臣が仕切っていた江戸時代の中で、家康と最後の慶喜以外では、彼こそ一人でなにもかもやっている。

もちろん、一部に有能な家臣はいた。大岡越前など、その典型だろう。が、あくまでそれらは行政官に過ぎない。企画立案は、彼がひとりで着想し最初の一歩を手掛けたのだ。米相場云々もあるが、特に驚くべきは、人事制度改革と、あの時代にあって庶民の声を聞くという民主主義的な動きをしたことだ。このうち、人事制度で有名なのは足高の制度であり、身分の低い者でも位の高い役職に登用し、その役職の間はそれにみあった補助の石高を足そうという、今でいう役職手当をきちんとつけたのだ。また、法整備についても力をいれており、考えようによっては、彼が立案し成文化した公事方御定書というのは、一般人相手の初めての法令集のようなものであった。

他にも枚挙に暇がないか。繰り返すが、彼はそれらをほぼ一人で立案している。どれだけ天才なのだろうか。ひとり何役、これはすさまじい。

ところで、写真用品である。ユーエヌがこのほどマルチカメラバーを発売した。このバーは一見地味ながら3台のカメラを設置することができる優れモノだ。今の時代を考えると、標準レンズのカメラ、広角レンズのカメラ、さらに動画用の3種類の観点からの撮影を同時にこなせるバーだ。アルカスイス互換プレートを採用している。まさに、一人何役もできる用品だ。

ユーエヌのマルチカメラバーは暴れん坊将軍のような活発な使い方ができる優れモノ、なのだ。

しかし、そんな吉宗だが。江戸時代の終盤あたりはそれほど人気がなかった。そもそも、最後の将軍、慶喜は徳川家康以来の才能、と言われたが徳川吉宗の再来とかは言われなかった。これも、歴史関係者の書いたものを読むと、世の中が動乱であった幕末には文治政治の雄よりも、武断政治の気風の残る家康の苛烈さが好まれたという。だが、慶喜はまるっきり将軍というよりも、バランス感覚に優れた政治家であった。このあたりの勘違いされた期待と、それが裏切られた時の落胆が彼を最弱の将軍、などと噂になったもとではなかったか。。ちょっと、気の毒な気もする。

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