浅沼商会のKARU-NECKストラップは一見平凡だが肩の力が抜ける味がある商材だ

 自分が全く平凡な人間であると自覚したのは、いつの頃だったろうか。まぁ、かなり前であったのは確かだ。もっとも、たまには非凡な人間だと思いたくなるが、すぐに現実を目の当たりにして目が覚める。

レザーBK-thumb-296xauto-10016.jpg文学作品の中には実録ものと言われる内容のものがある。ノンフィクションのような第三者が取材したものではなく、本人が自分自身の親族や所属する組織についてリアルに書いたものだ。自伝的な雰囲気もあるが、自伝が自分自身の目線で著していくのに対し、実録ものは自分以外の関係者に対しても肉親であるゆえに辛辣つに描写したりする。

代表的な作品としては、北杜夫の楡家の人々、がある。が、こちらが上品な雰囲気なせいか、佐藤愛子の血脈、のほうがインパクトがある。だいたい、全てが実名というのが凄い。出てくる登場人物は全てがすさまじい。戦時中の少年小説も有名な佐藤紅緑から始まる系譜だが。息子のサトウハチローはじめ、多くが破滅型の生活破綻者だ。当時の作家だから、そこそこ収入はあった。が、女や遊びに遣っても子供には物心両面で保護しない。家出してホームレスになる息子もいた。

そんな中で、ごくたまに平凡な人間が出てくる。佐藤家のトラブル処理をする羽目になった佐藤紅緑の弟子と、妾の子供だ。このうち、弟子のほうは、あまりにも人格者で親しみを感じられないが、妾の子の劇作家の大垣肇には親しみを感じた。よくも悪くも普通の人である。文筆一本で破滅型的にのめり込む事もせずに、書店を経営し生活の糧をえながら作品を書いた。決して人格者ではなく、病気になればイライラして適当に、あくまでも適度に人にあたる。書いたように、サトウハチローのように破滅型的に文と女に走ることはない。自分の文才の限界もわかっていたので、書店で細々と食いつなぎながら作品を書いていたのだろう。これが、森鴎外のように、軍医でも作家でも立派であったのではない。ともかく、意外に忙しく毎日を過ごしながら、あまり実入りがないなぁ、などと溜め息をついて苦笑いしていたのかもしれない。奥さんあたりから、親族のサトウハチローや文壇でも注目されていた腹違いの妹の佐藤愛子と比較されて惨めな思いをしていたかもしれない。

ただ、こんなよくも悪くも平凡な彼の作品は、意外にも味がある。なんかいいのだ。

そういう点では、浅沼商会が24日に発売したばかりのKARU-NECKストラップは、一見何の変哲もないストラップながら、実はかなり深い製品だ。首の負担を大幅に減らすグリップパッドを搭載。バックパックのハンドルに取り付けることで、カメラの重さをバッグに逃すことができる。なんか、好きなタイプの商材だ。

まさに、浅沼商会のKARU-NECKストラップは一見平凡だが肩の力が抜ける味がある商材だ

しかし、本当に凡才は凡才だよなぁ。。酒はたまに、ではなく呑むが。安酒場しかいかないから、生活が破綻するほどではない。泥酔しても最終的には最寄り駅を数駅乗り過ごす程度だ。まぁ、こんなものなのだろうなぁ。


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