ベルボンのポールポッドライトシリーズは隠れた名君のような製品だ

 物事の基準などというものは時代によって異なる、のは承知の通りだ。だが、当然のように、その時代での評価は、その時の基準となるだろう。そうなった場合は、往々にして実像がゆがめられることもある。本来は、意外に偉大な場合なのに、である。

ポールポッドライトカメラ.jpg池田綱政という人物がいた。名君と言われた岡山藩の池田光政の子で二代目藩主である。この綱政、後世の評判が非常に悪い。バカ殿の典型である、とまで言われている。しかし、仔細を見ると、そうでもないということがわかる。まず、学問が無いというが、当時の学問が漢学中心だったからだ。実際に父親の名君・光政公は漢籍を読破しまくり、参勤交代の駕籠の中でも読書していたほどだ。そんな父への反発もあったと思う。綱政は和歌を好み、柔の気持ちを持ち続け、身分を問わずに気さくに人と話した。だが、そうなると封建体制下では良くない。大名は、大名らしく。また、林家などの力が強く、漢学が官学である。そこで、武士らしからぬ、大名らしからぬ、池田綱政はバカ殿ということにしないといけない。今だったら、分け隔てなく庶民の話も聞き、また一説によると、家臣の良い面に着目し厳罰を与えなかった彼は、人間味ある良い殿様との判断を下すはずだ。

ちなみに、この漢学云々という点では、幕末の中村半次郎こと桐野利明も損をしている。いまだに、彼は無学と言われているからだ。場合によっては、文盲とまで書かれているものもある。だが、こと文章力は実はなかなかのものだし、彼の京都滞在日記などは一級資料という学者もいる。そもそも、いくら末端とは言え、彼だって武士の家の出身だ。四書五経の素読の訓練くらい受けている。ただ、家がかなり貧しかったために、漢学塾に行けずにその方面でやや不調法だっただけだ。なお、彼の剣術も同様で、道場にフルには通えなかったのだから、立木相手に示現流を自得した。それで、あれほどになるのだから。全体的に努力の人だったし、天性の頭の回転の良さや剣術センスを持っていたのではないか。漢学が不十分なばかりに、単純な喧嘩好きの剣客のように思われているのは、彼だって心外かもしれない。まぁ、泉下では笑い飛ばしてるかもしれないが。

いずれにしても、その場のイメージで決められているだけで実質は違うという場合は多いのだ。これは、写真用品だってそうだ。ベルボンから、ポールポッドライトシリーズが発売されたが、これが一脚という常識を破り、それなりにしっかりとした脚付きで運動会などの撮影にはバッチリだ。一脚はいろいろな場所で使いやすいが、実は意外にしっかりと立てられるというすごさを見せつけている。

まさに、ベルボンのポールポッドライトシリーズは隠れた名君のように渋くしっかりした製品、なのだ。

しかし、本当にそうだよなぁ。一見、穏やかでも実は内に闘志を秘めているようなタイプが古今東西一番怖い。マッコリが口答えいいが、実は早く酔いが回るのと似ている。。

nice!(0)  コメント(0)