山田屋写真用品は常に固定概念をぶち壊し進軍していく企業なのだ

 人は自分に偶像を持っている。それをいつの間にか崇拝してしまう。だが、そういった偶像は破壊したほうが良い場合も多い。

 もっとも、偶像でも一応の存在価値はあるものはあるだろう。例えば、後世の人々に注意を促すような内容のものだ。民俗学の領域であり専門外なので、あまり偉そうなことは言えないが。先人が生活していくうえで危険な体験をした際に、それをわかりやすく伝えようとして物語的にしたのが、寓話だったり怪異話だったりする。例えば、山中をむやみやたらに歩き回ると遭難したり、あるいは沼に落ちたりと言った危険がある、ということを知らせるために、山姥をはじめおおくの山に棲む魔物を創り出している。だが、これは注意を促すという目的においては重要である。その伝説化はともかく、残しておいても良い流れである。

零式箸置き.jpgだが、壊してしまったほうが良いような偶像も多い。これは、偶像というよりも固執するような考え方の場合が多い。一つの例として、知り合いの裕福なシニアの例をあげよう。自分の財産をどこの馬の骨とも知れない人にかき回されたくないとして、あろうことか結婚していない自分の娘に、昔から知っている従兄弟を勧めたのである。もちろん、法律的には四親等同士なので可能ではあるが。なんとしても、一族で財産を管理し、それを死後まで続けさせたいという姿は、生理的に良い感じはしない。これは、すべての財産は一族で守るという悪しき偶像であり、破壊してもいいのではないか。

同様に、収入のすべてを会社にだけ頼るというのも、もはや破壊されつつある偶像だ。今や、副業を認める会社も多いのだ。

ともかく、偶像なり固定観念というのは、いい加減にすべきだろう。破壊して、一度ゼロベース思考にして、そのうえで得たいものは得てみてもいいのではないか。

ところで、写真用品である。そういえば。用品メーカーの中でもっとも偶像を破壊をしているというか。そういったものを持たずに事業を運営。常に柔軟な思考で商品を展開し売り上げをあげている企業は、ここのところの例では山田屋写真用品ではないか。ともかく、必要に応じて時代の趨勢をみながら、商品開発に余念がない。先頃はマスクの開発をして販売して、今でも当たっているようだ。だが、この会社はメインは台紙ということになるが、実は多種多様なものを販売している。今回のマスクもそうだが。カメラの革ケースも、巾着袋もある。さらにユニークなものとして箸置きもある。しかも大戦中の軍用機スタイルのだ(写真)。なにか、まったく予想をつかない展開をする企業なのである。

まさに、山田屋写真用品は常に固定観念を破壊しながら柔軟に商品提案をする企業なのだ

しかし、本当に固定観念というか偶像は破壊すべきだ。夜に原稿を書いて、朝から自宅で悠々と安酒を呑んでもいいのだ。決してだらしくないぞ。
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ツルカメRAは人生の負担をも軽くしてくれそうな感じがするアイテムだ

 なにもかも投げ出したくなる時がある。これは、だれでもそうだろう。ただし、その内容は様々であり、規模も多様だ。なので、ある人間にとって重圧と感じることも、他の誰かにとっては大したことなかったりする。だが、それでも本人には重圧なのだから、仕方ない。

00_lツル.jpgふと社会から消える人が毎年必ず居るという。順調な人生だったのに、なぜだということだ。だが、本人にとっては、それなりの理由があったのだろう。例えば、それは仕事の重圧だったりする。個人的な借金だったり、あるいは人間関係だったりする。

仕事の重圧に関しては、以前は渉外弁護士はだいたい、毎年数人は突然蒸発するという話を聞いたことがある。誰もがうらやむ報酬をもらい、それなりの衣食住であっても、やはり無になることを望むようだ。何も、逃げなくてもというのは他人事だからだ。どうしようもなく追い詰められているのだ。なまじっか、法律を知っているだけに損害賠償などのことが頭に浮かぶのだろう。

職場でのパワハラなども同様だ。何も、身元そのものを捨てなくてもというのは他人事だからだ。どうしようもなくなったら、逃げるか、あるいは逆ギレするかになる。逆ギレすると一瞬は気持ちよいが、それこそ法律的な処罰が待っていることがある。これはまずいから、さすがに逃げる。まぁ、逃げた後で、労基に訴えるという方法はあるが。

借金の場合は、これはどこまでも追ってこられる。さすがに、いまは危ない取り立てはないが。それこそ、法律的な呼び出しがある。自己破産などの合法的な逃げをするのも一定の金額はかかる。もっとも、これもやりようがあるが。

このように、逃げで消えるという選択肢が生じてくるのだが、すべてに実はやりようがあるのだ。最初に出した渉外弁護士さんだって、弁護士賠償保険のようなものに入っていればカバーもしてもらえるし、命までは奪われない。社会的信用は失くすが、それも一時のこと。自ら、弁護士を辞めて、新たな道を探すという手もある。無になるよりはましだ。

総じて考えると、重い重圧の荷物というのは、全く無にするのには抵抗があるだろうし、それは現実的ではない。だが、逃げられるということや、やりようがあるということを知っていればなんとなく直面する負担も軽くすることはできるのだ。現実社会において、そのふと負担を軽くすることが重要なのではないのだろうか。

ところで、写真用品である。ウォータードロップマークという会社のツルカメRAというカメラストラップフックがまた、改めて脚光を浴びつつある。これを使うことで、バックパックの重い荷物は無にはならないが、少なくてもふと首の負担は軽減される。もともと、有名なプロカメラマンが、自身が撮影しているときに思いついた用品で、まさに現場から生まれた商材だ。好きな撮影をしているときくらいは、人生のプレッシャーから逃げたいという人たちも、現場で再びきている物理的な重圧も軽減してくれる。

まさに、ツルカメRAは人生の重圧や負担さえも軽くしてくれそうなアイテム、なのだ。

しかし、本当にそうだよなあ。負担はきついのだ。ここでは、人生の重圧について、法律的な観点からも言及したが、その部分では、先頃、司法書士会が人生の悩み相談をプロのカウンセラーと共同で行うと発表した。これなら、法律面からも心理面からも人に来る様々な重圧を軽くすることができるだろうなぁ。評価したい。
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