山田屋写真用品の中仕切りパッドTWシリーズは真の批評家が喜ぶ製品だ

 既に故人となったが、ある文芸評論家が書いた文章が頭に残っている。ジャンル問わずに、批評家のあるべき姿勢について述べた部分だ。彼曰く批評家は、地下でもなく二階でもなく、常に一階の部分に居るべきものだと。『一階にとどまり、のほほんと机の前に身を置きつつも、地下一階の感覚、さらには地上二階の感覚を常に失わないでいる」。この姿勢が肝要だと。

山田さん②.jpgまぁ、深遠なる哲学的な話は、こちらには理解できない。が、自分なりに現世界的視点から解釈するとこんな感じか。社会的な弱者としての視点ももちつつも、権力者や経済的に恵まれた層の考えも理解できる、そういう資質、姿勢こそ批評家のあるべきものではないか、ということか。

そう解釈してみて、真っ先に頭に浮かんだ人物が、奈良時代初期の歌人である山上憶良である。彼は、もともと天皇家の侍医を務めた渡来人の子孫とも言われている。貴族社会では正統派ではないが、一応王家とはつながりはある。そのため、下級役人には就けた。だが、そこまでである。待っていても出世はできないし。政治力のようなものが備わっているわけではない。

おりもおり、世情は気候変動などの環境悪化も加わり、税を搾り取られる庶民の生活は苦境を究めた。下級役人として、その惨状をリアルに見た彼は、状況を歌という形であらわした。貧窮問答歌である。この時代は、社会批評などの明確な著作は日記程度のものであり、目立っていなかった。ましてや、社会評論家のような形で、食べていけるようなものは居なかった。なので、実質的には彼こそその当時は一流の社会評論家であり、筆致がリアルなジャーナリストだったのかもしれない。総じていうと、真の批評家か。

特に、彼の筆を支えていたのは、先に書いたように一階の机に居るという不動の立場ではなかったろうか。貴族の考え方も聞ける。もちろん、庶民の苦しい生活も実感として理解できるのだ。逆に考えれば、こういう下級役人という一階の地位にいたからこそ、上も下も理解できる柔軟さが発揮できたのではないか。

ところで、写真用品である。そういう意味では、ニュートラルなパーツという性質をベースに柔軟な動きを示せている商品がある。山田屋写真用品の中仕切りパッドTWシリーズである。説明したとおりに、カメラバッグやインナーケース用のスペア・追加用中仕切りパッドである。2個の仕切りパッドを連結して制作されているのが特徴で、このために90度に曲げられて、うまくレンズを保護できるのである(写真)。まさに、中仕切りパッドという常にバッグの底の上にくっつくという立場をベースに、商材をフレシキブルに支えられるのである。

山田屋写真用品の中仕切パッドTWシリーズは山上憶良のような役割を示す製品、なのだ。

しかしだ。この欄でも取り上げたが、SNS上で過激な保守的言動をするシニア層だが。意外に真の批評家かもしれない。あくまで国家主義者として上からの考え方は賛同している。その一方で、自分に被害が及ぶような内容の事態が迫ると、人権などを主張してくる。まさに、一階部分に居る批評家の面目躍如的な動きかもしれない

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