KANIフィルターは写真の写りだけではなく世の中にも独自の光を届けるのだ

 小説家を目指している知人がいる。たまに、会って話をするのだが。なんというか、妙に盛り上がらない上に、後で不愉快な感じを抱いてしまうことがある。決して悪い性格ではない。だが、なんかつまらないのだ。大変失礼だが、書いているという小説も自己満足のつまらないものなんだろうなぁと、無礼なことを考えてしまう。

その理由はなんなのか。よくよく考えてみると、会話に人を楽しませようという姿勢が感じられない8469be_4f2b10d7699b42d4aea1c1e707ebffa2~mv2.jpgのである。本も非常に良く読んでいる。それなりの見識もありそうだ。だが、何か自分の殻に閉じこもり自己満足のような気がするのだ。実際には親からもらった不動産収入があるせいか、在宅のバイトのようなものをしているだけで、あとはずっと本を読んだり、執筆活動をしている。

もちろん、生き方など自由だ。人に迷惑かけない限り、どうあろうと各々の勝手だ。だが、閉じこもると当然ながら、人との会話が少なくなり、人を喜ばせようという感覚もなくなる。ただ、自分の思ったことを、豊富になった知識をもとに話しているだけだ。なんか詰まらないのである。その根底にあるのは、前述のように人を楽しませるような気持ちがなく、さらに言えば少しでも何か世の中の役に立ちたいという考えがないということだ。

例えば、そんな知識もあり時間もあるんだから、ブログを開設して読んでもらった人の知識の啓蒙をすればいい。だが、それもしない。それでも書いている小説の内容が楽しいモノであれば、人を楽しませるという役割は果たしている。だが、そういうことも考えてなさそうだと、やはり自己満足の内容になりがちだろう。よく孤高の芸術家というが、孤高ならよい。結果、世のため人のためになるようなモノものを作れるなら、その過程で孤高だろうが和気あいあいだろうが、なんだってかまわないのだ。だが、言い古された言葉だが、世のため人のためという理念なきものは、単なる自己満足の作品ということになるだろう。

どこか、その『全てのモノや行動は世のため、人のため』の要素があったほうがいい気がする。

そういう意味で、角型のKANIフィルターを擁するロカユニバーサルデザインは違う。ただ売るというよりも、セミナーを行い、フィルターのすばらしさを啓蒙することを第一にする。そのために、人気カメラマンとのコラボ的な商材も多いのだ。が、これはファンにとってはたまらないだろう。笑顔で購入していく。ちなみに、企業自体も世の中への貢献を意識して社業を行っている。社員としての雇用創出を積極的に行っているのである。同社の社長の話を聞くにつれて『社会的起業家』という言葉を思い出してしまうのだ。

まさに、KANIフィルターはフィルターの素晴らしさだけではなく社会をも明るい色で写すのだ

しかし、本当にそうだよなぁ。。こちらも、結果としてモノにならなくても、ともかく世のため、人のためという部分は追求していきたいと思う。自己満足に陥るなら、それはつまらない小説と内容がかぶるような生き方になりそうである

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