マルミ光機のソリッドは吉田松陰先生の信念のように硬いのだ。

 頑なと言われようが、自分を貫く。良かろうが悪かろうが、これが自分だと開き直る。そういう人間には、なれないが敬服する。もちろん、ただ無知なだけの思い込みでは意味がない。全てを承知している上で、敢えて頑なを貫く場合だ。

ここのところ、歴史をリアルに実証するようなテレビ番組や書籍が目立つ。磯田先生や中世史の呉座先生など引っ張りだこだ。それらを観たり読んだりして、ふと思ったのだが。あまりにもリアルを追求するあまり、従来からのファンタジーをあからさまに否定するのはどうだろうか。

emedama_4957638098014.jpgとは言っても、かくいうこちらも一時期、実証にこだわって歴史を考えていた。最初に読んだ故樋口清之先生の本に影響を受けたからだ。だが、中年から初老の年齢になり思ったのは。歴史とレキシは分けて考えても、いいのではないかということだ。例えば、明智光秀の謀反は、資料をまともに読むと単なる本人の単独実行だろう。織田信長の遺体が出なかったのもDNA鑑定が無い時代だから、黒焦げの遺体のなかから選別は無理だろう。

だが、やはり、これは黒幕に豊臣秀吉や家康あるいは朝廷がいた、とか。いろいろ考えて盛り上がりたいのだ。坂本龍馬暗殺も、単なる手配犯を見回り組が急襲しただけかもしれないが。実は武力倒幕にこだわる西郷隆盛が背後に居たほうが面白いのだ。あくまでも史実ではない可能性が高いと認識しているなら、自分はこう考えていると頑なに貫いてもいいのではないだろうか。また、逆に歴史学者の大先生がレキシを楽しむ人々を批判する権利などないと思う。

少し話しがずれるが。そもそも、世の中を動かす原動力となってるのは思い込みのパワーだ。この人や機関がこう表明したから、株価や為替が動く。政局も動く。ある種の思い込みや推測で動いているのである。盲信は最悪だが、知に裏付けされた頑な思い込みなら結構だと思う。

歴史上の人物では、吉田松陰先生など、まさに叡知ある思い込みの偉人だろう。

ところで写真用品である。マルミ光機からソリッドという超硬質なフィルターが出ている。ともかく硬いのである。象が踏んだら壊れるかもしれないが、ライオンくらいなら踏んでもびくともしないだろう。しかも、周知のように、マルミは通常のラインも充実している。叡知があるのだ。

まさに、マルミ光機のソリッドは吉田松陰の信念の如く硬いのだ。

しかし、本当にそうだよなぁ。頑なは大事だろう。敢えて突き進めばいい。行け行けドンドン正々堂々、と龍馬と同時代の中村半次郎先生も言っている。
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