ベルボンのUTシリーズは三国志の英雄のような三脚なのだ

 業界紙のほうにも書いたが。三国志というのは、なかなか奥深い。史実を書いた三国志正史と小説的な内容の三国志演義があるのだ。まぁ、演義のほうは正史をもとにはしているのだが。もっとも、中には、正史と演義で全く人間性が異なる主要登場人物がいる。後に蜀の国の皇帝となる劉備だ。

utc63ii-0480.jpg三国志演義のほうの劉備は、小説や人形劇になってるからわかりやすいだろう。貧しい家で、自身は筵売りをしながら家計を支え親に孝を尽くす。ただ、貧しくても気品あり正義感も併せ持ち、将来に大望ある青年だ。なんと素晴らしい。だが、正史の劉備は全く違う。家もそれほど貧しくなく、華美な服を好む。弟分の関羽、張飛ほどではないが、そこそこ武力もある。

ただし、これは演義と同じだが。何があっても感情の起伏は顔に表さず。動じない。胆はすわってたのだろう。過激な行動には出るが。シンパである地元の人々には徹底的には優しい。こういう人間には人が集まる。地元の富裕な商人たちから見ても、世情不安定なおり、ある種の不良たちを統率し自警団的なことまでしてくれる。便利な存在だし物心両面で大事にしたろう。

日本で言えば、かなりのスケールダウンになるが、幕末の多摩時代の近藤勇か。あるいは清水次郎長か。ただし、近藤や次郎長と違い、劉備には大きな武器があった。漢王室の血を引くという話だ。当時は貴種尊重はもの凄かった。ますます、腕自慢の若者が子分に志願したろう。

そんな中で、新興宗教的な黄布党という集団が乱を起こした。この動きを劉備親分が見逃すわけがない。いろいろ関わり、乱の中で勢力を広げて行った。こういうタイプは、普通はある程度登り詰めれば満足する。彼の場合は、かなりのエリアの長にも抜擢され、尊敬もされ、良い暮らしもの手に入れたのだから満足して良いはずだ。だが、面白いことに、そういう環境に居ても彼は隙があれば、その時の組織のトップを裏切り、小国でも自分だけの領土に固執する。

こんな劉備に対して、歴史家の一部からは史実の劉備は変節漢と指摘されるが。そうではないだろう。ただの変節漢なら、自分に不利な待遇になるケースは選択しないはずだ。やはり、生まれながらの開拓者でありクリエイターなのだ。自分の国を創造するためには、何でもしたし。保つためには、ある意味自我をも捨てた。無頼な親分としての姿は抑え込み、子供くらいの年の軍師の孔明に全権を委任した。このあたりは日本史で言えば、自分を機関として見ていた、と司馬遼太郎先生が指摘する徳川家康に似ている。

つまり、劉備の実像は、子分思いの任侠と、開拓者とクリエイター、さらには冷徹な王という性質を一人の人格に持った熱い厚い人間だったのだ。単なる正義ある貴人より、この実像の劉備のほうが魅力的だと思うが。

ところで、写真用品である。幅広く多機能ながら素材も高品質な商材と言えば、ベルボンのUTシリーズだろう。この存在が、どれだけトラベル三脚分野を開拓し創造したか。しかも、新型を出す度に売れる。

まさに、ベルボンのUTシリーズは三国志の英雄のようなパワーを持つ、のだ。

しかし、劉備は173センチ、張飛は185センチ、関羽は190越えた辺りか。ライバルの曹操は160センチ程度。領土の最終的な大きさと武将の体の大きさは関係ないか。。当たり前か。



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