山田屋台紙店の台紙は有名メジャーリーガーと同じスタイルで売れる

WBCである。今日は控えようと思いつつも、つい試合を観てしまう。小市民としては、御多分にもれずに大谷翔平選手の活躍に注目してしまう。ただ、今回のWBCでは、ダルビッシュ有投手の発言にも感心してしまった。

これは、業界紙のほうのコラムでも書いたのだが。今回は不振が続いていたジャパンの主軸打者につ山田屋さんの入学台紙.jpgいて、聞かれた時の彼のコメントだ。『結局、野球のこと』と表現。野球より人生のほうが大事。休みがあるのだろうから、その時間に美味しいモノでも食べて、ゆっくり過ごしたほうがいい、という内容であった。要は、人生=野球ではない。野球は人生の一部である。そのことで、人生全体を塗りつぶして落ち込み引きずって過ごすのはやめたほうがいい、という感じだろう。

 こちらみたいな昭和世代は、もちろんのこと。日本人の場合は、結構な若い連中も仕事=人生と思い込んでしまう。なので、仕事で不振がつづくと生活全般で元気がなかったり、人生そのものに絶望したりする。だが、考えてみれば人生の一部に仕事があるのだ。それ以外は家庭生活があったり、個人の趣味の世界があったりする。書いてしまうと、当たり前のことだが、このように俯瞰してみるのはなかなか難しいものだ。しかも、ダルビッシュ投手のように、野球に関して非常にストイックに取り組んでいる人間がそう言ったのだから、意外な気がした。また、かえって説得力があると感じた。

さらに、その野球自体にも彼は俯瞰した姿勢で取り組んでいる。彼が対豪州戦で投げたとき、次は交代が確定しているのに、変わらずにブルペンで球を投げ込んでいた。その映像を見たテレビ中継の解説者は「たぶん、あれは自身が本日決めていた球数に達していなかったので、自身の調整のためにやっているのだろう」と分析していた。この動きも、なかなかだ。ある意味、野球そのものについては、WBCは楽しみながら力を発揮する場所にはするが。やはり、本業のほうのメジャーの開幕に備えての調整をするということなのだろう。このあたりも、彼は俯瞰して考え動いているのだ。

いずれにしても、俯瞰してのめりこまずに有意義に行く。これは、日頃から視野が狭くなりがちな、こちらとしては非常に新鮮であった。

ところで、写真用品である。山田屋台紙店の台紙である。ここの台紙は、やはり革製で作られたような高級台紙のラインではない。なので、思い出にのめりこみすぎていない。その一方で、品質に関してなど価格の割には、かなりしっかりした素材だし良いつくりとなっている。思い出を重い出にしないで、ごく軽くしつつ、それなりに力を入れて楽しみながら商品力を発揮しているのである。

まさに、山田屋台紙店の台紙は有名メジャーリーガーのスタイルでアピールする、のだ。

しかし、今回のWBCで改めて、日本のプロ野球にも逸材が多いということに気がつかされた。久しぶりに、日本のプロ野球中継も見てみるかな。。安酒でも呑みながら・・。
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ユーエヌのチェンジングバックは渋いヒットを飛ばすだろうなぁ。。

書店に足を運ぶと、だいたい自己啓発本というコーナーが目立つ。そのコーナーの名前は、生き方、とか時間の使い方、とか様々であるが。要は、自己啓発本である。

この種のものは、ビジネス街の本屋に行けば行くほど数が多くなる。過酷なビジネスの現場に生きる02-1.jpg人々にとっては糧となる分野かもしれない。では、これはやはり相当に役に立つのだろうか。。実は、そんなことはない、という意見もある。その場では、大きな気分になり生活いや人生そのものが変わりそうだが、数日たつといつもの淡々とした自分に戻る。そんな評価も多いようだ。ただし、それを読んだ人は、効果がないのは自分の怠惰なせいだと思う。で、しばらくすると、他に自分にできそうな目先の変わった同種の本を購入したりする。

これは、なにも推測ではない。実は、こういう本で一定の実績を挙げている出版社の担当者が本に書いていたことである。その筆者曰く、だいたい、こういう自己啓発系の本のテーマは何パターンか決まっており、それらを順番に取り上げていく。原理的には、もちろん当たり前のことが基本になっているから、その通りにやっても害はない。で、その害のない原則を基本に、一定のストーリーを加味させていくと、ヒットの道を歩む。そのストーリーというのは、凡人あるいは逆境に置かれた人物が、目覚めて本に書かれている原理を実施することで成功していくという流れだ。その人物は、実在の人間だとなおいい。

確かにそうだ。これは、自己啓発本だけではない。今のヒットした歴史小説系の史上の人物の描かれ方にも、そういうパターンが多い。目覚めて、研鑽を積み、己の隠された器を発揮していくのだ。だが、一般の人が、それを取り入れようとしても、なかなかうまくいかない。何故だろうか。簡単である。酷なことだが。そういう人物らは、もともと才能があったからだ。当たり前のことだが。。

もちろん、そんなことはわかっているだろう。それにこれが目に見えた能力なら明確だ。誰もが、子供のころから野球を頑張ったところで、大谷翔平にはなれないだろう。少年柔道教室に通っても大野将平にはなれない。が、目に見えないビジネス、政治系や例えば官僚や法律系、医師、科学者、文学系などの分野では、そんなことは思えない。頑張れば、花開くと思ってしまう。

これは、かなりの身近な場合でもそうだ。そんな偉人レベルではなくても、そこそこ成功しているくらいなら、自分でもできると思ってしまう。だが、よくよく観察すると、そんなことないのだ。すごい人というのは、やはり凄いのだ。仕事柄、起業して成功した人を何人か取材しているが。そういう人らというのは、もともと凄いのである。だいたい、彼らのサラリーマン時代を、その当時の関係者から聞いても、有能だということは一貫して言われる。稀に、集団生活が合わずに目立たなかったタイプもいるが、そういう人でも頭の良さは、どこかで買われていたりしていた。そもそも、起業するくらいの度胸があり、それで成功に導くのだから博才があるということになる。自分を信じて努力し続けるのだって才能なのだ。

と、ここまで書くと身も蓋もない。だが、そんな必要はない。そういったことを理解した前提で言えば、凄くない凡人には凡人の戦い方があるのである。今の時代は、様々なSNSが発達している。別に文章がうまくなくても、こういう駄文書きでもブログで、好き勝手なことを書けるではないか。そのインフラがあるなかで、コツコツと野球で言えば、2割5分程度は打つレギュラーになれる程度の打者を目指して行けばいいと思う。

ところで写真用品である。この欄でも何度か取り上げたのだが、ユーエヌである。この企業は、かゆいところに手が届く的な商材を開発する。その原理は、コツコツと販売現場を回り、実際に欲しいという声を聞き、一定の確実な売り上げを見切った商品を発売して渋いポテンヒットくらいを売って実績を積み上げている。そんなユーエヌが復刻版のチェンジングバックを発売した。今のフィルムカメラブームなどにはぴったりだ。もちろん、既に売っている他社もあるが、そこよりは企業努力で価格も抑えられた。これは、例えば中古カメラ店などでは、一定数は買うだろうなぁ。さらに言えば、同社はJNRのロゴ入りSDカードケースやレンズキャップ、ストラップも発売している。やはり、好きな人は一定数買うだろう。地味ながら渋いヒットが打てるのだ。

まさに、ユーエヌのチェンジングバック等の商材は渋いヒットを飛ばしていく、のだ。

しかし、本当にそうだよなぁ。華々しく勝つのが人生ではない。地味でもいいから、渋いヒットを積み重ねていく。そういう行き方があるのだ、と思いながら今日も安い酒を呑んでいる。。
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CP+2023は固定概念を斬り落とすような印象であったのだ

 CP+が始まり、終わった。今回は久しぶりのリアル開催というやつだが、なかなか衝撃的な感覚を覚えた会ではあった。

これまでの既存の価値観をひっくり返されたという感じであったのだ。そのひとつが、ケンコー・トCP①浅沼の額.jpgキナーやエツミのブースである。三脚というのはカメラを載せるものではないか、、という思いが壊された。特にスリックのcamper製品はテーブル付三脚ということだが。商品名通りに、キャンプで使える優れモノだ。もちろん、カメラを載せてもいいのだが。撮影に行きながら、キャンプ用品としても使える。これは、エツミのブースでも同様の展示がされていた。さらに言えば、SIRUIのブースではLED製品が展示されていたし、ゴドックスにはマイクがあった。また、地味ながら浅沼商会のブースでは多面のフレームの新製品(写真)が展示されており、業界紙記者的には渋くていい感じを受けた。

ここで、改めて思ったのだが。既存の価値観でとらわれていては駄目だということだ。いや、駄目ではないが、かなり損をしているということである。

また歴史の話で恐縮だが。剣術と剣道は違う。本来は、相手を殺傷するための技術である剣術なのだから、練習で竹刀で打ちあったりは本来はあり得ないのだ。そんなことを剣でやったら、欠けてしまうし火花は散るし大変だ。相手の刀を見極めて避けながら、自分は踏み込んで斬っていく。斬り落としという動きが重要なのだ。時代劇などで見る、カンカン、剣を打ち合うのではない。実際の斬り合いは腕が立つものほど、人の身体を斬る音がするだけということになる。凄まじいものだ。

相手に勝つ技術なのだから、必要がない際は刀は使わない。当時でもかなり合理的な人物であったと思う新撰組の土方歳三は、途中から洋装にして「もう刀の時代じゃねぇな」と呟いて、西洋式の指揮方法で火力を活用した。もっとも、このパイオニアは宮本武蔵で、彼は書き残している。二刀流は何故いいか。一本で遣うより、二本をもって遣ったほうが理にかなっている、と。もちろん、日本刀のようなものをものを、片手で自由自在に使いこなせる人間など、彼のような天分や体力に恵まれてないと無理だろう。が、あくまで勝つための方法を追求していきついた結論なのだ。

まさに、今回のCP+は既存の価値観を叩き斬るようなショーだった、のだ。

しかし、なかなかいろいろと発見があった会だったよなぁ。。ちなみに、事前にプレス登録しようとしたところ、媒体のURLを記載しないと前に進めなかったのだ。そう、それがない。と、そこで試しに、当ブログのURLを入れてみたところ、これが通ったのである。やはり、駄文でも続けるものだ、と改めて思った次第であった。
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ビリンガムのバッグは自己変革をしながら成長する大政治家のイメージがあるのだ

一度つけた自分のカラーを破るのは難しいものだ。自分のカラーがいつのまにか、殻になっている。この殻が非常に硬かったりする。自縄自縛と苦笑いしている場合ではないほど固い。

だが、不思議と、この殻をものともせずに、あっさりと破っていくタイプもいる。そういう人間は、ビリンガム.jpg外から見ると、なんともつかみどころがないような感じがするが、なに本人は我が道を行っているんだから問題はなかったりする。

例えば、一昨年の大河ドラマの主人公になった明智光秀という人物である。生真面目な教養人という一面もあれば、主君の織田信長を上回る合理主義者ということも感じさせる。古からの伝統の守護者という考え方もできそうだが、そうでもなさそうな面もある。ちょっと、とらえがたい人間のようだが。彼の場合は、もともと医師としての修業を積んでいたという史料もあるようで、そこから、いろいろな主君に仕えて少しずつ自分を変えていったという感じがしなくもない。また近世で言えば、伊藤博文という人物もそうで。血気にはやる幕末の志士から食えない政治家の伊藤博文になるにあたり、自分の殻を破りまくり、壊しまくって変革させている。こういう才能があるというのを、師匠の吉田松陰は見抜いていたようで、周旋の才がある、とある種の柔軟性を評価している。

ところで写真用品である。英国ブランドのバッグにビリンガムというのがある。というのがある、と書くのはおこがましい。有名なカメラバッグである。ただ、このカメラバッグ。1973年にマーチン・ビリンガム氏が創業した当時は、フィッシングバッグとして米国に輸出している。その際に、たまたまフォトグラファーにカメラバッグとして使われ名を馳せたのだ。偶然が重なり、カラーを変えて殻を破ったのだ。もっとも、ハードケース主体の当時のカメラバッグ市場のなかでは、いまひとつではあった。が、それがロンドンのカメラショーで著名フォトグラファーらが評価しだして、一躍裕めになり今の地位を築いたのだ。常に、殻を破り成長している。この姿勢は、今でもそうだ。確立された伝統バッグブランドでありながら、常に品質を向上させて前進を心掛けている。

まさに、ビリンガムのカメラバッグは常に殻を破り成長していく大政治家の雰囲気がある、のだ。

ところで、そのビリンガムだが、明日明後日まで開催される横浜のCP+の会場近くで展示会を行っている。国内の販売を担当するオリエンタルホビーの担当者も居て、いろいろと話もできそうだ。カメラファンなら、格調高いビリンガムのバッグを是非みておいて損はなさそうだ。
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KANIフィルターは写真の写りだけではなく世の中にも独自の光を届けるのだ

 小説家を目指している知人がいる。たまに、会って話をするのだが。なんというか、妙に盛り上がらない上に、後で不愉快な感じを抱いてしまうことがある。決して悪い性格ではない。だが、なんかつまらないのだ。大変失礼だが、書いているという小説も自己満足のつまらないものなんだろうなぁと、無礼なことを考えてしまう。

その理由はなんなのか。よくよく考えてみると、会話に人を楽しませようという姿勢が感じられない8469be_4f2b10d7699b42d4aea1c1e707ebffa2~mv2.jpgのである。本も非常に良く読んでいる。それなりの見識もありそうだ。だが、何か自分の殻に閉じこもり自己満足のような気がするのだ。実際には親からもらった不動産収入があるせいか、在宅のバイトのようなものをしているだけで、あとはずっと本を読んだり、執筆活動をしている。

もちろん、生き方など自由だ。人に迷惑かけない限り、どうあろうと各々の勝手だ。だが、閉じこもると当然ながら、人との会話が少なくなり、人を喜ばせようという感覚もなくなる。ただ、自分の思ったことを、豊富になった知識をもとに話しているだけだ。なんか詰まらないのである。その根底にあるのは、前述のように人を楽しませるような気持ちがなく、さらに言えば少しでも何か世の中の役に立ちたいという考えがないということだ。

例えば、そんな知識もあり時間もあるんだから、ブログを開設して読んでもらった人の知識の啓蒙をすればいい。だが、それもしない。それでも書いている小説の内容が楽しいモノであれば、人を楽しませるという役割は果たしている。だが、そういうことも考えてなさそうだと、やはり自己満足の内容になりがちだろう。よく孤高の芸術家というが、孤高ならよい。結果、世のため人のためになるようなモノものを作れるなら、その過程で孤高だろうが和気あいあいだろうが、なんだってかまわないのだ。だが、言い古された言葉だが、世のため人のためという理念なきものは、単なる自己満足の作品ということになるだろう。

どこか、その『全てのモノや行動は世のため、人のため』の要素があったほうがいい気がする。

そういう意味で、角型のKANIフィルターを擁するロカユニバーサルデザインは違う。ただ売るというよりも、セミナーを行い、フィルターのすばらしさを啓蒙することを第一にする。そのために、人気カメラマンとのコラボ的な商材も多いのだ。が、これはファンにとってはたまらないだろう。笑顔で購入していく。ちなみに、企業自体も世の中への貢献を意識して社業を行っている。社員としての雇用創出を積極的に行っているのである。同社の社長の話を聞くにつれて『社会的起業家』という言葉を思い出してしまうのだ。

まさに、KANIフィルターはフィルターの素晴らしさだけではなく社会をも明るい色で写すのだ

しかし、本当にそうだよなぁ。。こちらも、結果としてモノにならなくても、ともかく世のため、人のためという部分は追求していきたいと思う。自己満足に陥るなら、それはつまらない小説と内容がかぶるような生き方になりそうである

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H&YのREVOLING SWIFTシステムは武田信玄公も喜びそうだ

 そろそろCP+がやってくる。カメラファンにとって久しぶりのリアル開催である。また、写真業界にとっても力の入るところだろうか。だが、これは今回に限ったことなのではないのだが。本音を言うと、現段階では非常に億劫ではある。

これは、今回に限らない。いざ会場入りすると、アドレナリン全開になり回りながら『もうこんな時hy.jpg間か』という感じになる。が、横浜まで向かう長い道のりを行く際中は非常に億劫で鬱状態になる。なにか、これから途方もないものに立ち向かわないといけない感じだ。学生の頃も、いざ受験や資格試験の勉強に取り掛かる前はいつも鬱になった。が、いやいやながらでも、とりかかるとアドレナリンが出る。我ながら、怠け者の特徴を持ち合わせていると思う。

もっとも、こういうタイプは居るようだ。以前に、看護師をしている知人が語っていた。オペ担当だったらしいのだが、呼び出されて立ち会うまでは非常に億劫であり鬱状態になる。だが、いざ手術室に入るとアドレナリン全開になるという。なんとなく理解できる気がした。さらにいえば、歴史上の人物では武田信玄公も同様のタイプだったと思う。要は、怠け者的性質を持っているということだ。こちらのような無学な輩ではなく、海音寺潮五郎先生が分析している。政治的な動きを見ると、新しいことになかなか取り掛かっていない、と。かの武田信玄がそうなら、こちらも堂々と怠け者を名乗ってしまおうとも思う。

ところで、写真用品である。そのCP+で初めて出展する企業のひとつにH&Yフィルタージャパンがある。この新進気鋭の企業の目玉商品がREVOLING SWIFTシステムである。このシステムひとつで、動画もスチルも対応可能。フルマグネットで現場の状況に応じてカスタム可能となる。まさに、撮影中にいろいろといじるのが億劫だという人には最適なものではないか。

まさに、H&YフィルターのEVOLING SWIFTシステムは武田信玄も喜ぶアイテムだ。

しかし、本当にそうだよなぁ。カメラ関係に関わらずに、イベントや祭りになると非常に生き生きするという人にたまに会うと羨ましくなる。こちらが生き生きするのは、、飲み屋に向かっているときだろうか。
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エーパワーのHOLGA1200GCFは渋い剣客の雰囲気がある

 猫も杓子もフィルムカメラブームである。などと書くのは大袈裟か。だが、フィルムカメラが流行っているのは事実だ。中古カメラ店の新店舗はできるし、フィルムカメラ好きの若者は多くなっている。

いや、若者だけではない。以前にフィルムカメラを楽しんでいたというシニア世代も、改めて取り組ホルガ.jpgんでもいる。もっとも、若者が加わることによって通常の中古フィルムカメラだけではなく、少し手頃なタイプの安価なフィルムカメラも売れているのだ。

だが、そんな光を浴びている中で、動きがいまひとつなフィルムカメラ系の機材もいくつかある。そのうちのひとつが、エーパワーが発売するホルガだ。特に、2019年にホルガ120シリーズの生誕40周年を記念して発売したHOLGA1200GCF撮り比べセットの動きが鈍いのだ。撮影中にガラスレンズとプラスチックレンズの交換が可能な非常に楽しめるキットなのにである。ブローにフィルムだから現像云々というのは関係ない。通常のフィルム現像だって、自家処理できるカメラ店は限られているのだから、同条件である。ともかく何か歯がゆい。この製品をあまり認知していない人が多いのではないかとも思うがどうだろうか。

どうも、この製品を見ると、その見た目のカッチリ感から『いまひとつ光が当たらなかったが実はすごい剣客だった人物』を連想してしまう。例えば、江戸後期に剣術界で著名だった高柳又四郎という剣客である。音なしの剣というスタイルをとっている。要は、相手の竹刀が自分の竹刀に触れる音がすることなく勝負をつけるということだ。というか、これは実際の斬り合いでは当たり前のスタイルだろう。刀と刀などがあたったら火花が出て欠けてしまう。それより、切り落としという形で相手の刀を受けずに身を開き避けて相手を斬る。もっとも、これができるのは当然ながら達人である。そんな存在の高柳又四郎だが、一部の歴史ファン(学者ではない)にとっては知られているが、一般的には無名だろう。せいぜい、彼をモデルに中里介山が大菩薩峠の中で机龍之介という人物像を造形した程度だ。それとて、いまや古典だ。

まさに、エーパワーのHOLGA120GCN撮り比べセットは影の天才的剣客の雰囲気がする、のだ。

しかし、本当にそうだよなぁ。なにか、今の時代にもっと売れそうな気がするのだが。。ある用品関係者は黒だけではなく、カラーバージョンがあれば若者に受けるのではないか、とも指摘していたが。でも、高柳又四郎には黒が似合うのかもなぁ。。
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御朱印帳ディスプレイフレームはご利益ライフを10倍楽しめる用品だ

 この欄でも、何度か触れているが。絶対的な価値観というのは存在しないと思う。一方が良いと思って絶対視したところで、実はそうでもないという反証はいくらでもできるのだ。

例えば、歴史上の人物を評価する場合だ。現在、大河ドラマでは徳川家康が主人公である。この家goshuinm4br_features06.jpg康、織田信長、豊臣秀吉あたりは間違いないくらいの英雄といってもいい。だが、そもそもそういった勝者が偉いのであろうか。そもそも、勝者が偉いというのは一面的な見方なのではないか。

一方、同時代人の中に、今川氏真という人物がいる。この人は歴史好きには甚だ評価が低い。だいたい、父親の今川義元でさえ、その実績の割には評価が良くない。最近になって、ようやく優れた手腕を見直す向きがあるくらいだ。だいたい、人気ある織田信長に負けたのがよくない。ましてや、その息子である。父親が遺した地盤を守れなかった無能ということになる。

だが、果たしてそうだろうか。いや、そもそも歴史上で名を残さないといけないのか。

少なくとも、今川氏真というのは、あんな激動の時代にあって寿命を全うしているのである。織田信長のように家臣に殺されたりしていない。家康はともかく、秀吉の息子の秀頼などは攻められて自決している。さらに、今川氏真は徳川幕府の下で高家の旗本として家名と子孫をきっちりと遺している。東京都杉並区には今川という地名さえも残している。なので、ある意味生き延びるという術に長けた勝利者なのではないかという見方もできるのだ。天下取り競争の英雄という価値観もひとつの価値観ならば、生き延びるという意味では勝利者とも言えないだろうか。

今川氏真の生涯をみてみると、ひとつの価値観にこだわるのは、おかしいのではないかということを改めて感じる。

ところで写真用品である。ここのところ写真業界では、フォトフレームが単なるフォト用だけではなく、様々な用途に広がっている。ポスターやCDジャケットを入れて飾ったりとか、いろいろである。そんな中で、このほどケンコー・トキナーから、なんと御朱印帳を入れるためのフレームが発売された。御朱印帳ディスプレイフレームである。台紙はスウェード調生地で紺色とエンジ色のリバーシブル仕様である。今や、御朱印帳集めはポピュラーなブームである。そんなブームを10倍楽しめるフレームである。

まさに、ケンコー・トキナーの御朱印帳ディスプレイフレームはモノの価値観を柔軟にしてご利益がありそうなフレームなのだ。

しかし、ものの価値観なんて本当に一定ではないよな。何が良くて何が悪いか。いや、正しいものはなんなのか。そんなのは無いような気がする。ただ、現実的な利益調整の一定の指針として法律が存在するのではないだろうか。
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ハクバの新撮影ボックスは全てをリアルに写せて魅力を引き出せる品だ

 しかし寒い。寒いと心も寒くなるものだ。極限状況になると、人というのは普段隠していた本性が出るものだが。それは、暑さより寒さのほうが勝るのではないか。これに飢えでも加われば最悪だ。最近、映画になっていたが旧ソ連の収容所では、捕虜の兵士たちが配給された食料の配分を巡って疑心暗鬼にもなっていたようだ。

これは、これほどの極限状況ではなくても起こりえるもので。高校や大学などの部活で、一定以上のスタジオボックス.jpgトレーニングをさせられていると、他人のことなど目に入らなくなりエゴが全開になるときがあるだろう。そう、一見、常識や穏やかさの殻をかぶっていても、本性は荒くれ者だったりするということもありうるのだ。

だが、これは悪いことではない。実は、人はどんな本性だろうと、見極めることで自分のコントロールをしやすくなるからだ。これは、なにもこちらのような浅学菲才の人間が考えたのではない。古代の偉大なソクラテス先生が言っている。汝自身を知れ、と。

まずは、どんなひどいものであれ、自分の本性を知る。そのうえで、ではそれを意識したから、あとはどう対処するか。それを考えればいいだけの話なのである。

例えば、ある有名な女優さんは、昔から引っ込み思案で臆病な性質があったという。最初はそんな自分が嫌でたまらなかったという。だが、気づいた。この性質を認めて、だからこそ頑張って舞台で切り替えてできれば、逆に大きな達成感が得られるはずと。そうすることで、自分に悩むことなく演技の習得などに集中。今では、テレビや映画などでも味のある演技を披露してくれている。

これは、歴史上の人物でもそうで。元寇の戦いの際に執権として日本の威信を守り抜いた北条時宗は、幼少時には非常に弱い性質であったという。そこで、禅を組むようになったのだが。ある日、禅師から言われたという。「時宗は時宗で良い。だが、事に及んだら、その時宗を捨て去ればいい」と。彼は、自身の臆病さを認めたうえで、事に臨んだら極めてドライに割り切って対処。そうすると、普段の臆病さも細心な性質としてプラスに加わり、抜かりの無い対応ができたのである。どんな自分でも認めたうえで対処すればいい、か。

ところで、写真用品である。ハクバ写真用品から、スタジオボックスの新製品が発売された。これは、簡単ながら3色のスクリーン付で良い撮影ができる意外に優れモノであった。これで、あますところなくモノをリアルに撮影し、その長所もわかりながら商品を披露し世に問えるかもしれない。

まさに、ハクバの新スタジオボックスはリアルな姿を映して魅力を引き出す品、なのだ。

しかし、本当にそうだよなぁ。考えれみれば、このブログだが自分がいかに浅学菲才化を披露している。そのうえで、後で読み返すと、もう少し文章の勉強もしろと考えてしまう。やはり、リアルな自分の能力なりを知るのは良いことなのだろうなぁ。。
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サイトロンジャパンは令和の織田信長軍団として行くのだ

 明けましておめでとうございます。本年はどこまで、このブログを続けられるかわからないのだが。まぁ、頑張ります。

で、今年の大河ドラマだが。主人公は徳川家康である。どうやら、新解釈の家康像を描き出すようサイトロン製品.jpgだ。期待したい。ちなみに、この徳川家康に関しては、狸オヤジだの逆に時代を見据えた人格者だの、いろいろな解釈がある。まぁ、人間などというのはいろいろな面があるのだから、資料から見ても様々な面がクローズアップされるのは当たり前だろう。こちらとしては、司馬遼太郎先生の書いた「覇王の家」の家康が印象的だ。永年の経験で、自分をひとつの機関として位置付けた家康像であったのだ。

それはそれでいい。ところで、この家康を描く際に必ず深くかかわってくるのが織田信長である。この信長像は家康と違い、ほぼ一貫している。破天荒で天才的な気質を持つ政治家であり武将だ。だが、本当にそれだけではないだろう。実は、当時の一次資料と巷間言われている信長像とは少しの解離がある。これは、以前にもここか業界紙で書いたのだが。一般に小説やドラマで言われている信長の動きと一次資料の動きに微妙なずれがあるのだ。例えば、何か事が起こり、その事態が城に居る信長に報告されたりする。その際に、小説やドラマだと「よし好機だ」などと叫んで立ち上がったりする。だが、資料では言葉少なく「で、あるか」などと言っているだけだ。こういう例は多々ある。そういう点では、それほど突飛なタイプではなかったような気もする。

と、これを前提に論じたいのだが。織田信長は、それほど異色な人物ではなかったと思うが。当時の人物としては珍しく、それこそ予定調和を崩していくタイプだったんだろうなと思う。有名な桶狭間の戦い、だって言われているような思いつきの奇襲戦法ではなかった。だが、すごいのは今川義元の首をとってしまったということだ。こういう、通常の戦略ながらプラスアルファで1歩進んでいく。その1歩が予定調和を崩すような動きでいく。そういうことをする人物だったと思う。要は、釣り堀で皆が黙って魚を釣ろうとしているときに来て、いきなり網や手を使って魚を取ろうとするタイプである。そのまま追い出されるが、その前に魚を手にしてさっさと自分から出て行ってしまう、そんな感じか。

ところで写真用品である。業界にはサイトロンジャパンという望遠鏡系の企業がある。そのサイトロンだが、既存の路線でも活躍しているが。ここのところ、一歩踏み込んでいる。自転車メーカーを買収したり、あるいはサバイバルゲームのためのショップを開店したりしている。そうかと思うと、いきなり物流や工場などを拡大し、オリジナルブランド品の開発に熱心に取り組んでいる。あるいは、既存路線の路線本格派の商材である天体のほうで電視観望の提案に取り組んだりする。さらには、逆にこの時期にカメラバッグを開発したりするのだ。予定調和的な動きはどこまで崩すのだろうか。

なお、写真はサイトロンジャパンのカラー揃えた双眼鏡群である。本当に型破りな品揃えだ。

まさに、サイトロンジャパンは業界の織田信長的な動きをするのだ

しかし、本当にそうだよなぁ、今年は信長にも期待したいが。。岡田准一君が演じるようだ。なんか、彼なら本能寺の変など、軽く突破して生き残りそうな気がする。明智光秀役に西島秀俊氏あたりを配さないとまずいのではないか・・

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