山田屋写真用品のオルフェ01はこだわり抜いた高級カメラケースだ

 こんなこと改めて書くのもなんだが、やはり中途半端は良くない。世の中、曖昧模糊にしたほうが確かにうまくいくことがあるが。それは極めて流動的な対象のこと。具体的には人と接する場合などだ。あまりにも理非をハッキリしようとすると窮屈だ。石田三成先生など、これをやり過ぎて逆に大局的に負けた。

なので、全てをハッキリしないといけない。日本人は曖昧だ、などという批判があるが。余計なお世話だ。米国みたいな訴訟社会が幸せとは思えない。これは政治も同様だろう。よく野党の正義の志士たちが予算案の細かい部分を追求するが。若干の余裕を持ったほうが、何かの折りに柔軟な対応ができるものだ。

オルフェ01_ケース 挿入_800.jpgもっとも、ハッキリ、クッキリが良い場合もある。まず人物のレッテルだ。ここは日本人の今ひとつのところだと思うが。素性が明らかでないと、業績を残しても英雄ではなく舅雄扱いされる。清河八郎や長野主膳などは視点を変えてみれば、なかなかの手腕を感じるが。何か、後世の人々から魔王のようなとらえられ方をされている。逆に明確な反逆行為をした黒田騒動の栗山大膳は素性が明確なので、魔王的な捉え方はされていない。さらに言えば、人物のみならずに、多くのコトやモノの場合には明確なレッテル付けが必要だ。そうしないと利用者や消費者へのインパクトがなくなるからだ。共感も得られない。単なる中高年のスポーツ教室より50歳以上の人のメタボ対策トレーニング講座のほうがいい。少なくとも、自分なら行く。トラブル処理請け負います[新月][新月]法律事務所より、痴漢に間違えられたらすぐに駆け付けます弁護士の[新月][新月]です、のほうが頼もうという気になる。

ところで写真用品である。山田屋写真用品からオルフェ01という高級カメラケースを発売した。あくまでも高級コンパクト用途にこだわった品で。日本製の本革でありソニーRX100用である。スマホではなく高級コンデジを使うシーンを客層別に細かく設定してもいる。例えば赤色のバージョンなら、バッグにカメラを入れて機会があれば隙間時間に撮影を楽しむキャリアウーマン、などだ。これはいい。

まさに、山田屋写真用品の高級カメラケースのオルフェ01は究極のこだわりコレクション品なのだ

しかし、こだわりは重要だよなぁ。ちなみに、同じ山田屋さんから来月には、零式戦闘機を象った箸置きを発売する。これは、写真好きのオジサンが休日に撮影を楽しんだ後で、夜に晩酌をする際に使う、設定らしい。流石だ これはオジサンに売れるだろう。
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ベルボンのハンドストラップ付クイックシューは一挙両得の妙の品だ

 異質なモノ同士の組み合わせというのは、さまざまな効果を産む。

例えば、人と人との組み合わせなどだ。実業の世界では、ホンダの本田宗一郎と営業担当の藤沢武夫とのコンビである。頑固な技術屋と営業のプロのコンビだ。この二人で世界のホンダの基礎を築いたのだ。ちなみに、この二人は引き際も見事であり、まさに名コンビであった。

tn-3.jpg歴史的には、織豊政権時代の徳川家康と本多忠勝のコンビだ。熱いものは持ちながらも苦労人ゆえに猜疑心と慎重さを持った家康と、ともかくタダ勝つだけの忠勝。このコンビが創成期を支えてきた。これは、幕末の大老の井伊直弼と長野主膳の組み合わせも同様で、家柄は抜群だが不運が重なりくすぶっていた直弼と、正体不明だが才気であれよあれよという間に名がしれわたった人物。面白い組み合わせだ。最後は感情に負けた西郷と最後まで自分の信念を貫いた大久保。何をやり出すか、わからない高杉晋作と偉大な常識人だった木戸孝允。異質な人同士のコンビは国をも動かす。

これは、モノについても同様だ。と、ここで写真用品である。ベルボンがこのほど、クイックシューの新製品を発売した。と、これだけでは珍しくもないが。なんと、ハンドストラップが付いている。カメラのホールド感を高め、そのまま互換クイックシューの代わりに取り付けられる。持ったときのハンドストラップのパッドも実にいい。まさに、一挙両得で質を高めた商品だ。

まさに、ベルボンのハンドストラップ付クイックシューは組み合わせの妙のアイテム、なのだ。

しかし、本当にそうだよなぁ。組み合わせは大切なのだ。だが、焼酎をビールで割る組み合わせは最悪だ


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森本化成の組み立て式暗室に見る真の教養の大切さ

 本当の教養とはどういったものなのだろうか。

よく教養があるとか無いの基準として、学歴や職業で判断する場合があるが、あれはあまりにもザックリし過ぎてるだろう。というのも、そもそも真の教養とは何だろうか、とよくよく考えるからだ。

0000000042172.jpg例えば、知的職業と言われる弁護士や医者だ。彼ら彼女らは、確かに豊富な知識を暗記しただけではなく、その知識を活用し応用するテクニックや考え方のノウハウは徹底した訓練で身に付けている。だが、それは真の教養と言えるのだろうか。どちらかというと、埋蔵している知識を効率的に取り出して、それを道具として使いこなす技術者的な優秀さではないだろうか。

では、何が真の教養か。思うに日本では特に軽視されがちな、ベースとなるものを考え洞察する事ではないだろうか。法律なり医学の基礎があるが、何故それはそうなのか。そう考え自分なりに納得できる結論を出せる力ではないだろうか。要は枠組みのようなものだ。これを考えられる能力である。

大学なら、最近は不要論さえ出ている文学を考える文学部や、基礎を見直す理学部、あるいは法律系なら法哲学の分野。やはり大事なのだろう。で、この枠がしっかりしてこそ、肉付けとなる実務の分野が堅牢になりうまく回るのではないか。

ところで、写真用品である。組み立て式暗室というのがある。森本化成という、この分野のパイオニアの商品が売れている。暗室だと固定的なイメージがあるが。森本のは用途に合わせて各種サイズがあるし、購買者の需要に応じたタイプの特注にも応じる。このため、デジタル時代の昨今だが、写真ルート外の大学の研究室からの注文も多い。さらに、暗室ではなくクリーンルームとして喫煙コーナーに用いられているという。これもしっかりとした枠組みを作っているからだろう。また、撮影ボックスにも使えそうだ。

まさに、森本化成の組み立て式暗室は真の教養とはなにかを示す、のだ。

しかし、本当にそうだよなぁ。そういう意味では、実務家ばかりの世の中はギスギスしていると思う。基礎をマイペースで研究する流れってあってもいいと思う。異業種交流会や婚活パーティーなどでも単に酒を呑んでるのもありなのだ。


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シグマの56mmf1.4は歴史上の英雄のような信念を持つのだ

 歴史は昔から好きだったが。年を重ねるにつれて、冷めた視点で見るようになったのは確かだ。

これは、歴史上の人物たちが自分と同じ、凡人としての要素も持っているとわかりはじめたからだ。よく司馬先生はじめ歴史作家が描写するような大義や信念ありきの人間など存在しない。まずは、凡人同様に欲望ありきだ。戦国の覇者たちも平和な世を築こうなどと大層なこと思っていない。領土を広げて物欲と征服欲を満たしたいからだろう。で、うまく統治するにはどうしたらいいか。過酷に民から絞り取るだけではなく、少しはメリットを与えたほうが合理的だ。作物を作る意欲も湧く。結果として仁政を施した名君が登場、という側面がある。

pphoto_56_14_c018_02.jpgこの事は、幕末でも同様だ。維新の英雄も幕府のサムライも行動の大元は立身出世欲、名誉欲、支配欲、と欲望が大半だ。少数の頭の良い人たちが理念を作り上げて、その欲望の理由付けをした。それが証拠に、薩摩藩の殿様の島津久光など、維新後にかつての部下を呼びつけて、いつ自分を将軍にするんだ、と怒りをぶちまけたという。それが正直な反応だ。

このように、欲望を原動力に動いているという我々と変わらない歴史上の人物の行動原理がわかるにつれ、醒めては来たが、それでも歴史は好きだ。というのも、活躍する人物が、やはり凡人とは違う一点があるからだ。それはズバリ、どんな形にしろ、最後の1点は死守するからだ。これは凡人には難しい。例えば、高杉晋作などという人物は、異常性のあるボンボンといった感じで。友達にしたくないタイプだが。一点、自分の嫌な奴には絶対屈しないという姿勢は貫いた。藩の中の当時は主流派の俗論派に一人で立ち上がった。多分、この異常人のことだから、単騎でも突っ込んだろう。また、戦国の松永久秀は生き延びることを重視した策士だが。嫌いな信長には、最後はしたがわなかった。

どんなに無謀と思われてもいい。損しても馬鹿にされても、各々には絶対に守るべきギリギリの1点があるはずだ。カッコ悪くても、そこは大事にする。それが凡人との差かもしれない。。

ところで、写真用品である。というか、今回は珍しくレンズにする。シグマが22日に発売するコンテンポラリーラインの56mmf1.4である。一見、マイクロフォーサーズもカバーする小型レンズだが、動画撮影でも快適なAFを実現した奥が深い中望遠レンズだ。どこか違うのだ。

まさに、シグマの56mmf1.4DCNは歴史上の英雄のように一点違うのだ。

しかし、本当にそうだよな。馬鹿にされようが職を失おうが、自分の核の一点は守るべきだ。カッコつけたカクテルなど飲まんぞ[exclamation]


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